彼女に会いたい

春爺さんは91歳まで一人暮らしをしていました。奥さんに先立たれて10年、通所介護サービスを使って頑張りました。

しかし、自宅でしばしばこけて倒れているところをお子さんや民生委員に発見される様になりました。また、短期記憶の衰えも目立つ様になり、アルツハイマー型の認知症と診断されました。

そんなわけで当住宅に入居となりました。

春爺さんは現役時代に大工の棟梁さんだった様で、昔かたぎのどことなく艶を残した方でした。小柄でちょっと丸顔で、はっぴを着せて薄くなった頭に鉢巻でも巻いたらよく似合いそうな感じでした。

歩行は不安定で、そろりそろりと歩く危なっかしい状態でした。ただ、ご入居後は危惧されていた転倒はさほど起きず、住宅の問題もあったのかもしれないと思われました。

やはり、慣れ親しんだ我が家とはいえ、肉体の衰えに合わせて作っているわけではありません。部屋の境界の段差だったり、家具の配置、荷物の置き方、歩く導線のあり方が転倒の原因になっていたのかもしれないのです。

その点、高齢者住宅では段差のない、バリアフリーであり、歩きやすい様に手すりを付けたり、家具の配置を考えたりできますからより安全です。

そんな春爺さんの認知症スクリーニングテスト(MMSE)で、自由に一文を書いてもらいました。それが「彼女に会いたい」だったのです。

おぉ! こんな文を書いた人は初めてだ! 春爺さん、夜になると、居室から顔をのぞかせ、夜の介護職が誰かをチラ見します。

女性介護士と目が合うと、ニカっと銀歯を光らせて愛嬌のあるスマイルを返し、お休みになります。

ある時は、ドア越しに「おいで、おいで」と笑顔で手招きをすることも。また、ある時は介護士の手を引いて、「一緒に寝るべ」と単刀直入なお誘いも!

ただ、なかなかお誘いがスマートで、当然、やんわりと断られるのですが、しつこさは無く、可愛いじいちゃんとして何気に人気でした。

たまに、タッチをしたり、あるいはさせようとしたり、介護士、看護師からやんわり叱られることはありました。ついでに私も春爺に代わって、よく叱られました。

「先生は男だから甘いんだ」と女性陣には冷たい視線を浴びることもありました。けれども、「春爺さんはエッチなのが元気のバロメーターだから、うまくかわして」と顰蹙をかうお願いをしました。

幸い、かわせる程度のエッチさで済んだのでよかったです。誤解のないように付け加えますと、タッチだけではなく、言葉のセクハラがきつい方がたまにいます。

ここでは認知症のある方にも、そうでない方にもはっきりとそういう行為をやめていただくようにお伝えするのが基本です。認知症の方であっても、お触り行為はその都度、目を見て「ダメ」とはっきり伝え、その上で気をそらせるようにしています。

認知症の方でも、何度も繰り返し、同じようにお断りすれば、記憶に徐々に入ることもあります。こういうセクハラケース、あるいは性衝動は、多々見られ、ひどい時には薬物での鎮静を考えます。