ハレンチの敵
「ない! 一枚も残っていない!」
久野風太は絶望してたたずんでいた。彼が訪れたのはレンタルビデオ店の二階の隅も隅の方である。そこには本来、男たちが胸躍らす桃色の楽園に繋がるエイティーンと書かれた暖簾があるはずなのだ。
しかし今日はその暖簾がかかっていない。風太は思った。あの暖簾が無いと流石に恥ずかしい。外から桃色のディスクを選別する姿が丸見えじゃないか。さらに事態は風太の思う以上に悪い方へ転がっていた。
風太が「お願いお姉さん、そこで立ち止まるのはよしてくれ!」と決死の覚悟で暖簾のかかっていない世界へ踏み込むと、そこは見るも無残なスッカラカン状態であった。男のロマンが詰まり詰まって息苦しいくらいであるはずの陳列棚から、すべての桃色ディスクが消えていたのだ。
「奴だ。またナイト・ナイトが現れたのだ」
彼曰く、ハレンチは乙女の敵だという。彼は世界中からハレンチを無くすため日夜街中を駆け巡っているのだ。彼は世の乙女たちの純情と恍惚なまでの瞳の輝きを、己が守っているのだと頑なに信じ込んでいる。したがって彼は自らをこう呼ぶ。
「夜の騎士、ナイト・ナイト」
しかし、自称夜の騎士である彼が世間に認められているかといえばそうではない。道端ですれ違う一般男性は皆口々に言う。
「ハレンチな感情が世の中から消えれば人類は滅亡の一歩を辿る。それはまずい」と。
したがって世の男どもにとってナイト・ナイトは目の上のタンコブのようなものになっている。ナイト・ナイトに幸せな夜を奪われた男どもは恨み辛みを込めて彼のことを陰で罵っていた。どうせ奴は女性と交際したこともない、偏屈野郎だ。ナイト・ナイト、その名称もいやにダサい。人生を相当こじらせているに違いない。人生ダブルボギーだ。そう、夜の界隈では有名であった。
風太は目の前の惨状を見て確信していた。こんな非道で無意味に近いことをするのはナイト・ナイトしかいないと。そもそもこの社会の中でハレンチの撲滅を試みるのは、奴を置いて他に誰もいないことは明確であった。
風太は地団太を踏み、行き場を失った桃色精神を何とか発散せんとした。しかし、三〇歳をこえた男が地団太を踏む光景はこれまた滑稽である。風太は余計に虚しくなった。