ハレンチの敵
暖かな日差しが街を包む日曜日の午後一四時半、出版社本社ビル三階にて南雲さんの新刊記念サイン会が始まった。同日、一五時から一つ上の四階でグラビアアイドルの撮影会が行われる。自宅を出る時、風太は少し緊張した。ハレンチに見舞われ、吹雪を起こす南雲さんのことを思うと寒気が止まらないし、胸が痛んだ。
しかし南雲さんのことを想い妄想を膨らますと、彼の頬はもにょもにょと緩むので余計な心配はいらない。風太は自律的にプラスマイナスをゼロにする男である。
南雲さんは今日も変わりなく、健やかな赤色の服を着こなしていた。とっても似合っている。
会場に集合してから風太は南雲さんの後をついて回って、彼女の姿から目を離さなかった。ストーカー? と思われるかもしれないが、仕事上では作家と担当編集者だ。違和感はギリギリないであろう。編集長との約束通り、風太は逐一彼女の行動を観察していた。
「吹雪かざる南雲こそ我らが悲願」と二人して美人な後輩の気高く美しい鼻筋に誓った。「何勝手なことを言ってるんですか」プンスカ! プンスカ! と、鼻筋に誓われる美人な後輩はたまったものじゃないだろうが、今は四の五の言っている場合ではない。誓わせてくれ、べいべー。
風太は少しでもハレンチの片鱗が見えようものならすかさず先手を打ち、決して南雲さんの目に触れさせなかった。いつもヘタレている彼が今日だけはエキスパート・ジャクソンと化していた。通りがかるディレクターの社会の窓を戸締りし、しゃがみ込む清掃員のはみ出るパンツにガムテープを張って誤魔化した。過保護になりすぎて女子トイレにまで同行しかけ、危うく風太が吹雪を起こさせるところであった。
一番の難関はグラビアアイドルが会場に集まり出した時だ。グラビアアイドルという奴らは撮影の衣装でもないのに胸の谷間をチラつかせ、男どもの鼻の下をぐんぐん伸ばすから迷惑だ。
南雲さんがいるのだからもう少し控えめにしてもらいたい。風太は彼女らが四階へ続く階段を上っていくたびに、南雲さんの注意を自らに引きつけようとアタフタとした。久方ぶりに一発芸「世界最大のネズミカチューシャ」を繰り出して苦笑いされたりもした。「世界最大のネズミカチューシャ」とは二つのフライパンを頭の両脇に添えるという面白可笑しい芸なのだが、未だにちゃんと笑った者はいない。南雲さんには「君の緊張をほぐすため」と一応の名目を立てておいたが、風太の心はやや傷ついた。