4校目 西部地区の定時制高校

平成15年4月、人事異動。4校目は西部地区の定時制高校であった。東京都の教員に採用されて初めての西部地区であり、かつ初めての定時制課程(夜間)勤務ということであった。管理職候補者として、様々な経験を積む必要があると自らに言い聞かせ、それ相応の覚悟を決めて赴任した。

管理職候補生として~強制異動、その先で身構えていたのは~

東京都では、管理職候補(管候補)になった場合、所属校の校内事情の如何に関わらず、東京都全体の観点から人事異動の対象となる。すなわち、地区、校種、課程等の枠を超えて、全都的な視野で異動作業が行われるということである。

ただし、管候補1年目は、私は2学年の学年主任であり、また海外修学旅行も控えていた関係で、例外的に異動を免れ、同じ職場で任用前研修(1年目)を受けることができた。次年度(2年目)も当然、卒業学年の学年主任として、生徒を卒業させるつもりでいた。

しかし、先にも触れた通り、現場のレベルを超えた別の事情で、異動しなくてはならないことになった。しかもその決定は、年度末の3月ギリギリに決まった。校長も残留できるよう色々と動いてくれたようであったが、都教委は異動の決定を下した。周りからは、「自分のために、中途半端に投げ出すのか」、といった声も聞こえてきた。

そして、ギリギリに決まったもので、生徒にも何も説明もできずに春季休業に入ってしまい、そしてその流れのまま4月の異動となってしまった。生徒たちは、3年生になった4月の新学期始業式で、担任が代わったことを告げられた。何とも無情な人事であった。

さて、その異動先は、東京の西部地区の夜間定時制高校であった。初めての定時制だった。異動が決まった日の週末、妻といつものようにスーパーに食材の買い出しに出掛けた時のことである。

妻が「これからしばらくは、食事(夕食)の用意をしてもしょうがないんだ」と呟いて、買おうとしていた食材を買い物かごから売り場に戻した。その時、何とも切ない気持ちに駆られたのを今でも思い出す。

というのも、定時制は午後から勤務が始まり、夕方に給食が出て、帰りが遅くなるからであった。私はこうした夜間の定時制勤務の中で、1年間の任用前研修(後半)を受けることとなった。

ところで、私が赴任した時、すでに職場の教員たちは、“管候補”として赴任したことを皆知っていた。特に、組合色の強い職場であったので、“異人種”が来たかのように身構えていて、他の同僚とは明らかに違う接し方をされ、歓迎されていないことを肌で感じた。