【前回の記事を読む】【小説】突然の凶報に動揺する中、向けられたのは疑念の眼差し
永禄五年(西暦一五六二年)
久米田の敗戦から五日後、義長様を総大将に儂ら三好勢は勝龍寺城を立ち、飯盛城の北二里、淀川を隔てた摂津の鳥養に布陣した。
「今村慶満様、ご着陣」
慶満率いる細川氏綱様御家来衆が参陣した。
「吉成信長様、ご着陣」
実休の遺臣吉成信長が散り散りになっていた遺臣らを糾合して参陣した。
「松山重治様、ご帰陣」
松山重治が飯盛城から戻り、本陣に顔を出した。
「ただ今戻りました」
「おぅ重治、ご苦労であった。して、父上の御様子はいかがであった」
義長様は、まず長慶様の安否を気遣った。
「飯盛の御屋形様は、肝が据わってござる。
実休様が討たれた日も連歌会の最中であったそうで、隣席の客が『芦間にまじる薄一むら』と詠んだ時に御屋形様は実休様の戦死の報に触れたそうですが、顔色一つ変えることもなく『古沼の浅きかたより野となりて』と詠み付けて称賛されたという。
その後、御屋形様は実休様の死を客の皆様に告げられ、客の谷宗養様、里村紹巴様らに早く帰るよう勧めたそうです」
重治は、陣内の緊張感を解すかのように、あえて明るい声で飯盛城の長慶様の様子を参集した諸将の前で物語ってみせた。
「ほんに我が御屋形様は肝の太いお方じゃ。それなら飯盛城は心配ござるまい」
変事にも動じない長慶様のご様子を思い浮かべながら、儂は感心して聞いていた。
「父上の御様子は相わかった。して、父上の御指図は……」
「飯盛城に籠城し、畠山勢を引き付けておく。飯盛城は二月や三月くらいはもつゆえ、充分に兵を集めてから後巻きに攻め寄せよ、との御指図でございました」