【前回の記事を読む】「相手と分かり合いたい」言葉で伝えるよりも大切なこととは?
持論4
今日までこのノートに記したことを頭に入れ実践していたら不思議なことに考えることや我慢すること、いろいろなことが苦ではなくなり自分の中では当たり前のことになり、大変なこともない、つらいこともない、悩み苦しむこともなくなった。そして自分は思った。これが大人なのではないかと……。
我慢がつらいと思うことも、我慢している物事を理解していないから我慢するしかなくなり、つらいと感じてしまうし、考えることがつらいと思うことも、考えることの必要さを理解していないから考えなければいけないと思い、強制的に考えるしかなくなり、つらいと感じてしまう。今まで自分はいろいろな物事を理解しているつもりで決めつけていたことを心底痛感した。
そして理解するためには行動し、失敗し、改善し、また失敗し、ただ失敗を繰り返すのではなく、自分が失敗したとき、自分が考えられるすべての失敗の原因や改善方法を行動に移し、失敗を繰り返せば必然的に答えに辿り着くことが理解できた。『持論2』の終わりの方で自分はこの先、我慢して我慢して分かり合えた人たちに囲まれていたとしたら、その我慢は果たして我慢という言葉なのだろうか……。と述べているが今なら分かる気がする、我慢という言葉ではないと。
これが思いやりであり、愛情だということだ。すべては愛情なくしては始められないと再確認した。人は愛情があるから人なのだ。『自分へ2』でも愛情のことを述べているが今読み返してみると愛情のあの字も理解していなかったのだと痛感する。これほどまでに愛情という物? は無償の物なのだと思った。
そして思う。愛情という物だけは、理解できないのではなく、理解してはいけないのだと……。理解した時点で愛情ではなくなってしまうのではないかと……。これからは愛情で接しようとするのはやめて周りの人と楽しく、そして仲よくして人生を歩んでいこうと思った。上にいく為に。
人間分析
心理学でも証明されているが、人間は物事を決めつけて納得しないといられない生物だ。分かりやすくいうと、例えば喫茶店でデブな人が1人でテーブルいっぱいに食べ物を注文していたら大抵の人は、だからデブなのだなと思うだろう。だが、もしかしたら友人と待ち合わせしていてその友人が俺の分も先に注文しておいてくれと、頼んでいたのかもしれない。最初にデブな人を見て友人の分も注文しているのだなと思う人はまずいないだろう。
この様に、人間は物事を決めつけて納得しないといられない生物なのだ。その性質を理解すれば上にいく道が開ける。例えば仕事で失敗をして直したいと思っている人がいたとして、なかなか直せないで悩んでいたとする。こういう人は仕事に対して物事を決めつけて納得していることが多い傾向がある。
自分が今まで見てきた限りでは人間が失敗や間違いを引き起こすときはしっかり理解をしていないときや決めつけで行動をしていることが多い。そして失敗の多い人ほど、その失敗を見つめ直すことを怠っていることが多く、失敗の少ない人ほど、その失敗を見つめ直し、決めつけない様に理解しようと努力していることが多い。
自分は周りの人よりも上にいきたいと思うので、人間は決めつけていることを理解していくことが上にいくカギになると思う。その決めつけていることが社会に適しているか適していないかで社会での地位や立場が決まってくるのではないのか? 自分の中で社会に適している決めつけと適していない決めつけを見つけられれば自分が上にいくための道が開けるのではないかと思った。