【前回の記事を読む】5万人のうち何人が「死ぬとき」のことを考えているんだろねえ
紅一点
「はい、では、エプロンをつけて包丁を持って、ネギを刻んでいるポーズをしてください」
消防署の食堂で、雑誌の取材クルーの言うとおりに、舞子は「食事当番」を演じている……正確にいうと、今日は食事当番であることに間違いないのだが。
「あれ。まだ、取材終わってなかったの?」
救急出場から戻ってきた菅平と岩原が、食堂に入ってきて持参した弁当を広げ、遅めの昼食を食べ始めた。
今日は、消防マニア向け雑誌『レスキューファン』の取材だった。女性救急隊員特集を組むからと、本庁の広報課からの依頼で舞子が取材を受けることになった。その間、救急隊を降りることになり、食事当番のシーンを撮影していたのだ。
「水上、おまえも早く昼メシ食べとけー。すぐ次の出場が入るぞ」
岩原に呼ばれて食堂に入ってきたのは、今日は舞子の代わりに救急隊員として乗務している水上武尊だった。水上は、普段は出張所のポンプ隊員として勤務している「予備救急隊員」だ。背が高く端正な顔立ちで、女性職員に大人気の消防官だ。
「水上さん、本署に補欠に来てもらって、ありがとうございます」
欠員を埋めるために、本署(消防署)と出張所を往来することを「補欠」という。舞子は水上に声をかけたが、水上は軽くうなずいただけで、黙々と弁当を食べ始めた。確か、高卒五年目だったから、二十三歳か。
大卒三年目の舞子より年下ではあるが、消防の世界は入った順で先輩後輩が決まるので、舞子は水上に敬語で話している。水上は、昨年の冬に消防学校で「救急標準課程」研修を終えて、救急隊員の資格を得た。
しかし、救急隊員の任命は「救急救命士」の国家資格を持つ隊員が優先される。救急救命士を養成している専門学校や大学を卒業し、資格をもって入庁した職員と異なり、消防官になってから救急救命士の資格を取るには、現場活動の経験を二〇〇〇時間以上または、五年以上積まなければ、免許取得のための研修に行くことはできない。
さらに、研修に行けたとしても、七ヶ月にわたる消防学校での長期研修を受けた後、国家試験に合格しなければ、救急救命士の免許は取れない。大学卒業時に救急救命士の免許を取ってきた舞子のほうが、水上より消防官として後輩であるが、先に「正隊員」、いわゆるレギュラーの隊員に任命された。