トップダウン的な認識の場合には、記憶情報の中で、さきほどのようにある程度予測される内容の中から検索するために、そのぶん照合が速いということではないかと思われます。そうしますと、ふだんはトップダウン的認識に依存しているほうが、知覚が速いために有利ということとなるでしょう。
また、ボトムアップ的な認識の際にも、精通しているかや注意の度合いによってその速さにちがいが生じ、よく精通していたり注意の度合いが強いほど記憶情報との照合が速く、認識も速くなるようにも思われるのですが、注意と認識の速さとの関係はわかりません。
前述の私の経験で、栗の断面が見えた際、はじめの一瞬は何か黄色い物体の断面が見えドキッとしましたが(記憶情報との照合がされる前と思われる映像が見えたわけですが)、ふだんこのように、照合される前の映像が一瞬見えるような経験はあまりされないでしょう。
この照合前の映像が見えることについては、あとからの「危険の察知」のところでお話しいたします。このように一瞬記憶情報との照合前と思われる黄色い物体が見え、その直後それが栗として見えほっとしたわけですが、ふつうは、以前に申しましたが、視覚野V1~V3付近での記憶情報との照合前の感覚と、記憶情報との照合がされてからの感覚とは統合(融合)されて、統合後の完成した一つの感覚として知覚されると考えられ、統合前の映像は見えないと考えられました。
ところで、はじめの(統合される前の)視覚映像が、統合されるとそれは見えず(知覚されず)、統合後の完成した視覚映像しか見えないことの真の理由はわからないのですが、視覚での逆行性のマスキングのような現象が起きているのでしょうか(逆行性マスキングとは、後続の刺激の知覚によって、先行する刺激に対する知覚がされなくなるというものです)。
または、ふだん記憶情報との照合の前後(統合の前後)で両方の映像は見えていることがあって、それらに少しのちがいがあったとしても、気付かないということもあるのでしょうか。
トップダウン的ないわば先入観をもって見ている場合は、最初から脳内の記憶情報からの(照合後の)映像が見えてしまうような印象もあるのです。例えば先入観をもって文字を読むと、全然ちがう字(もともと頭の中にあったと思われる文字)に読んでしまったりすることもあると思います。
例えば今までに見たことのないようなものを急に見た場合など、記憶情報にないため厳密な検索、照合ができないと思われる場合は、それに近い情報をもとに認識され、感覚として成立することとなるように思います。
ちなみにこのような場合は、感覚成立に時間がかかりそうなので、統合前の映像が一瞬見えそうにも思うのですが。