意識のゆりかご──意識はどこで生まれるのか
意識とは何かということについてですが、意識という現象は現在まだ説明できていません。もしも脳の機能的な側面とその局在とが、すべて解明されたとしても、意識とは何かということの答えにはなっていないように思います。
意識とは何かという議論よりも、最近は、AI(人工知能)ロボットが、完全に人間と同じ行動、会話、判断などをしたとして、その場合そのロボットに意識があるといえるのか、またAIが自我に目覚め、まるで意識をもっているかのように自律的に機能しはじめたらどうなってしまうのかなどの話題のほうがよくあると思います。
意識は、脳の活動、つまりニューロンの活動によって生じるということは明らかです。しかしニューロンの活動のすべてが意識を引き起こすわけではなく、どのようなニューロン活動が意識と関係しているのかということもまだわかっていません。
意識というのは、その本人にしかわからない固有の現象で、意識の内容はその人の内観報告からしかわかりません。今、意識レベルのことをいっているのではありませんが、もちろん私達は覚醒している人を見ると、この人は意識をもっていると考えます。
ベンジャミン・リベット(Benjamin Libetカリフォルニア大学サンフランシスコ校。生物学者)によると、私達は常に何かに対してアウェアネス(awareness)、気付きをもっているということで、これが「意識」がある、「意識」をもっている、ということの説明となっていると考えます。
この、何かに対してアウェアネスをもっていることというのは、何かを「認識」しているという表現がなされる場合もありますが、一般に、認識していると考えられる状態と、認識していることが意識されているということとは、ちがうことと考える必要があります。
生体が認識していると考えられる場合であっても、必ずしもそれが意識されているかどうかはわからないといえ、仮に意識されていなくても、生体としての認識システムが作動している場合もあるからです。私はこの認識はされていても、意識はされていない状態を、認識における「無意識」の状態と表現しようと思います。
ところで私達は、自分以外の人も、自分とだいたい同じような意識内容をもっているという仮定を前提としていると考えられます。
もちろん意識内容は、本人の内観報告によらないとわからないわけですが、意識内容がそれぞれ全く同じということはないでしょうし、逆に全く根底からすべてが異なっていれば、他者の意識内容を推測し理解することはできないと考えられますので、意識内容のうちある部分は共通で、ある部分は相違している、しかし共通した部分においても質や程度の差があるという考え方が、基本的に他者の意識内容の理解には必要といえると思われるからです。