今は平和な島
ピエトロ・ジェルミを思い出す
映画と言えば、私は観ていないが評判になったビスコンティ監督の「山猫」もシチリアが舞台である。
ジェルミの芸術はともかく、シチリアの低山地に多く存在する溜池は政府と大地主の努力の結晶である。
窓外に山上都市が見えてきた。山上に集落をつくったのは理由があり、①敵の攻撃から身を守る。②湿地帯のマラリアから逃れる。それに水脈と降雨が必須である。今は車で登る道もできたが不便さはつきまとう。
海峡を越える
シチリア東海岸の山上都市
シチリアには相当初期から鉄道が敷設されていたらしく、島の終点メッシーナまで高速道路と並行して走っている。短気な日本なら、もう既にこんな過疎地にはいらないという理由で撤去しているだろう。しかし、こういう拘りのない国民性がローマ帝国を造ったのだろう。
私達のバスはとうとう東海岸に出た。ここにシチリア第二の都市カターニアがあるが横目で見て通過。実はこの都市と私は縁がある。三カ月前の六月にカターニア大劇場の引っ越し興行を愛知芸術文化センターで聴いている。出し物は歌劇「ノルマ」。この地出身のイタリアオペラの先達ベッリーニの傑作で、マリア・カラスが有名にした。オペラといえばマスカーニ作曲の「カバレリア・ルスチカーナ」はシチリアを舞台にしており、誰も耳にする美しい間奏曲が有名である。
海岸線を北上し、やがて険阻な崖が海に面し波がしぶきをあげる光景となった。タオルミーナである。斜面に別荘地が見えて来る。険しいつづら折りをバスが山上都市に向かって上る。ここは写真で見たリビエラ海岸に似ていると思った。バスを降りてしばらく上がりメッシーナ門をくぐると、すっかり観光地のウンベルト一世通りの雑踏を行く。その日は農業祭だそうでイタリア紳士がパリッと決めて大勢いる。
やがてギリシャ劇場に着く。半円形より角度の大きい観客席(テアトロン)とほぼ円形の舞台・オルケストラ(オーケストラの語源)を持ち、BC三世紀に建てられたがローマ式への移行期の特徴を示している。バックにエトナ火山があればすばらしい借景だが、残念ながらその日は曇っていて見えない。
夜は海岸のホテル。鮭のステーキが夕食のメイン。
第三日が明け、早朝に丸い石を踏みしめて渚へ出た。地中海の日の出は真紅ですばらしかった。
日の出の方向に日本がある。夢幻の朝だった。