海峡を越える
奇妙な村落アルベロベッロ
アドリア海の港町ブリンディジは、古代ローマ・アッピア街道の終点である。バスはターラントから一般道路に入り、山地にさしかかる。起伏を越えた先に奇妙な形の家が点在して、アルベロベッロに近づいたことを思わせる。この辺はブドウとオリーブが多い。ファザーノの村に着き、今日宿泊の「ホリディ・イン」で降りる。
この旅では最も新しく感じのいいホテルである。初めてのホテル周りが清々しいので徘徊したが、これから造成して庭園を造るという感じ。緩い山腹で素晴らしく展望が良い。夕食の前菜に名物のトマトとモッツアレラのサラダが出た。
第四日が明けた。遠くアドリア海を望んでの真っ赤な日の出は印象的だった。地中海の東を望めば、日本の方向である。バスが出ると直ぐにアルベロベッロの村落に着いた。ここは世界遺産に指定されている不思議な集落で、旧市街地にはトゥルッリという真っ白な壁に灰色の円錐形の屋根を持つ建物がギッシリと詰まっている。
屋根部は小尖塔下に閉じ目をつけ、石を重ねた環状屋根があり、中空間を隔てヴォールト状の天井が張られていて物置などになっている。壁部は漆喰の分厚いもので、くり抜いて物など置いている。面白いのは屋根に凹部を設け底に溜まった雨水を床下の井戸に誘導しているのである。民家としては変わった形状だが合理的にできている。この変な形には伝説がいろいろあるが、家屋税を逃れるために、調査に入ったときこれは家でなく山であると説明したという説は、後に訪れるマテーラが家でなく洞窟だという論とともに、滑稽すぎて真偽は詮索するまでもあるまい。課税と民衆との「見解の相違」は宿命的に存在する。
イタリア南北問題
ストアとバジリカ
アルベロベッロで土俗的な民家の変わり種を見たので、正統的なヨーロッパ建築の初期の歴史に触れてみよう。まず古代ギリシャで愛好されたストアという形式は単なる細長い柱廊で、後ろは壁、前は広場に面して開放されていた。このストアが、その後のヨーロッパの公共建築や教会建築の原点になった。古代ギリシャの市民生活は広場(アゴラ)を中心にしていた。しかし雨でも降ると困るのでストアを創った。
ローマ人はバジリカを創った。最初はギリシャと同じく一文字形だったが、ローマ人はその両翼を折り曲げてコの字形にしたので、中庭ができたが、次にローマ人は中庭に屋根をかけた。そのままでは内部が暗くなるので、高屋根にして、いわゆる高窓を設けた。これでバジリカ形式は完成した。この様式がヨーロッパの公共建築、特に教会建築の基本形になる(紅山雪夫『ヨーロッパものしり紀行』)。
アルベロベッロを出発したバスは、アペニン山脈の比較的なだらかな道をうねうねと走って行った。寝てしまって目がさめたらマテーラの街に入っていた。この街の旧市街は世界遺産に登録されている洞窟住宅「サッシ」の街だが、全部が洞窟を中心にしているので街という感じがしない。これだけに淋しげに、奇妙な色を映し出している建物? がカンカン照りに静まっている風景はないだろう。
朝シャツを三枚重ね着してきて汗まみれだったので、洞窟の前で仕方なく上半身裸になって下シャツを脱ぎ、取り替えた。ツアーの奥様方が寄ってきてマジマジと私の裸を検分するので、この肉体美を見よと開き直る。ここは陽気なイタリアなのである。