今は平和な島

ある意味では多神教的な地域?

東洋では地の美しさ、余白の美しさを大切にしたので、モザイクはあまり好まれず、強いて似た物といえば象眼細工であろうか。モザイクの長所は第一には耐水性であるので、ローマ時代には専ら床や路面に用いられたが、ビザンチン文化では壁面にも用いられこのモンレアーレのように傑作がつくられた。

それにしてもこの修道院は回廊のアラブ風、ドゥオーモのビザンチン風など、とてもカトリックには見えない。キリストだけでなく、マリアや聖人の像も多く、養老孟司氏の言われるように、細かいニュアンスを飛ばして分類すれば、「カトリックは、ある意味で多神教」で日本人には親しみやすい。

モンレアーレから見下ろすパレルモ市街地の広い展望は素晴らしい。バスは一気に坂道を下り、パレルモの旧市街に入った。予想通り狭い道で、渋滞したり曲芸的にすり抜けたりという状況。ツアー最年長のおじさんがイライラして何やら叫んでいるがどうしようもない。けれどこういう状況こそイタリア的、かつシチリア的ノンビリズムの結果で、腹を据えて坐っているより手がない。パレルモは人口九〇万という意外な大都市で地下鉄まである。

旧市街地で面白かったのは中心の四つ角を四季に見立てて彫刻を壁面に施したクワットロ・カンティであった。夕食はホテルでシチリアの名物メカジキのステーキが出た。かつて南フランスへ行って以来の地中海の魚の味であった。

ところでシチリアの女性は肌が黒っぽく、そのほうが美人なのだそうだ。

ギリシャ神殿遺跡

第二日は島を横断して約一四〇キロ南下した。途中は昨日のパレルモの喧騒がうそのように、ひと気のない静かな田園の連続であった。オリーブ栽培も見られるが、殆ど自然のままで、シチリアの原風景と荒廃が見られる。ただ鉄道が律義に道路に沿って走っている。家並みが時折目につく。そんな有様で気持ちはすっかりのんびりして走ること二時間。にわかに広い山地と山上都市、その手前に丘地がありギリシャ神殿がチラホラ見えて来た。

ユネスコの世界遺産に指定されているアグリジェント遺跡である。この丘には狂気のように神殿が立ち並んでいる。古代にアクラガスと呼ばれたこの街は、海から数キロにわたってせりあがる斜面に神殿群が集積し、山上都市にはかつて三〇万人もの人が住み、BC五八〇年頃、叙情詩人ピンダロスが「世界で最も美しい」とまで言わせた街である。美しいモニュメントの建設には、多くの奴隷が労働させられた。しかし三世紀には衰退しはじめて、現代は遺跡が寂びて並び「神殿の谷」と呼ばれる。

一昨年の正月NHKテレビがパレルモ宮殿と共に実況中継して有名になった。空は青く、暑いことこの上なくて帽子をかぶっての見学だ。二十五本の柱と横材のみ残るヘラ神殿。最も保存状況が良いドーリア形式のコンコルディア神殿(前面六柱、側面十三柱)。地震で倒れ基礎のみ残るジュピター神殿などを見た。アテネのパルテノンが大理石なのに対し、ここは砂岩に漆喰を塗ったという差はあるが壮大さは往時のギリシャ植民地の繁栄を十分偲ばせた。