何度も言うが、質が悪いことにイジメっ子は仲間を作るのがうまい。彼らは一人では何もできないことを知っているので、自分と同じ性質の仲間を嗅ぎ分けグループを作る。彼らは恐怖の扱い方を心得ている。全く、どこで学んだのだろうか。本当にお見事としか言いようがない。敵ながらあっぱれなヤツだと称賛を送りたいくらいだ。こういうところは彼らを手本に学ばなければいけないと思う。
しかし、当時のイジメっ子達は、本当の弱者は自分達であることに気付かずに我がもの顔で学校の教室に君臨していた。周りの生徒が冷ややかな目を向けていることに気にも留めずに。
などと言ってみたものの、その頃の僕にも問題はあった。気が弱く、臆病で、暗かった。勉強も苦手でおまけに風呂に入るのが面倒で体臭があった。イジメっ子が好むものを持ち合わせていた。そこでよく耳にすることがある言葉に、『イジメは、イジメられる方にも問題がある』というものがある。
しかしどうだろう? 確かにイジメられる側にも問題があるからイジメが起こる。それは認めるが、だからといってイジメてもいい理由にはならないのではないかと思う。
そもそも、まだ子供で本人に問題についての自覚はないし、直し方もわからない。味方もいない。いやいや、先生に相談すればいいじゃん? と思う人もいるだろう。しかし、イジメっ子はそれが出来ない気の弱い相手を選ぶ。
あれはなんなのだろうか? イジメっ子はイジメられっ子を見つけるために、何か強いテレパシーでも感じとることができるエスパーなのだろうか? 若しくは獲物を狩るために野山を駆ける狩人か? 僕と彼らは赤い糸で結ばれた運命の相手のように固い絆で離れられない。ああ、恐ろしい。逃げようがない。
そんな毎日を送っていた。
だから、僕は学校が嫌いで人間が嫌いで行くのが辛かった。心を閉ざして誰ともコミュニケーションをとらなかった。いや、取り方がわからなくなっていた。思い返すと辛いことばかりだった。学校が好きな人を羨ましく思った。
彼らからしたらイジメたつもりもないのであろう。ある時は面と向かって「酸素吸うな!」と言われたこともある。皆子供だったという事情もあるだろうが言っていいことと悪いことがある。時として言葉は剣となって相手の心を刺してくる。
覚えておいてほしい。思ったことを何でも口にしてはいけない。
言葉の暴力は一生、心の傷として残るということを。