デモシカ教師 ~「デモシカ」と自称しながらも~
私が着任した頃、先輩教員の中には、「デモシカ教師」〈注3〉の残党と思しき教員がまだいた。一世代前の先輩教員の時代はというと、「デモシカ教師」(教師にデモなるか、教師にシカなれない)という言葉が風靡していた時代であった。そういう先輩集団の中に飛び込んでいくところから私の教員生活は始まった。
彼らは、自らを「デモシカ」と自称しながらも、私たち若手教員に対し、人一倍、目を掛け、声を掛け、気に掛けて、熱く指導していただいた。正直言って、本当に助けられた。心から感謝したい、と今つくづく思う。翻って、今のベテラン教師たちは、どうなのだろうか。彼らのように、若手を包み込むような"節介"を焼く姿は全く見えてこないのだが……。
〈注1〉当時の不良生徒たちは、学生鞄を持たないか、また持ったとしても特注の薄い鞄を愛用していた。加えて、彼らは大きめの紙袋を持参し、店内のお目当ての品を物色し、袋の口に落とし込む? という手口で万引きをするのが流行っていた。
〈注2〉このような中で、さすがの私もたまりかねて、自宅の電話に留守番電話機能のある機器を備え付けることにした。当時"留守電"は、まだ珍しくテレビドラマなどで見かけるものの、一般家庭用としては普及しておらずかなりの高額なものであったが、あまりにも頻繁にかかってくるものだから有り金を叩はたいて購入したのであった。
〈注3〉「デモシカ教師」デモシカとは、1960~1970年代の高度経済成長期の日本で、教員不足による採用枠の拡大で、志願者のほとんどが採用された時代に、他にやりたいことがないから「先生でもなるか」、また特にこれといった能力もないので「先生しかなれない」などといった消極的な動機で教員になった者の蔑称である。そもそもは、1950年~1960年代前半に、学校の授業をなおざりにし、安保闘争や勤評闘争などの組合系活動に没頭していた教員に対し、「デモしかしない先生」と揶揄したのが始まりといわれる。1990年代以降、採用試験の倍率が高くなり、教職への道は一段と狭き門となっていった。以後「デモシカ」という語は使われなくなった。(出典:『ウィキペディア』より「でもしか先生」https://ja.wikipedia.org/wiki/2020年5月17日〈日〉16:24一部参照)