名簿登載から正式採用へ~門閥、学閥、コネ採用!?

私は幸いにして、東京都の教員採用試験は、一次を通過し二次合格までいっていた。ただし、二次合格しても、任用先の最終面接で合格しないと正式採用とはならない。採用候補者として、名簿登載されただけなのである。

年度末の3月初めの頃であったであろうか、まず都立S高校から面接連絡が入った。その学校は交通が不便なところにあり、最寄り駅からバスしかなかったので、時間的なこともあり、タクシーで向かった。道すがら運転手に何気なく、学校のことを尋ねてみたが口を濁すばかりで、地元ではあまりいい評判を得られていないように感じた。受験雑誌であらまし調べてはいたものの、”大変な学校”には違いなさそうであった。

面接に当たったのは、校長先生と教頭先生の二人であったが、正直いって上手くいかなかった。自分も相手側も双方がかみ合わなかった。だから、待てど暮らせど「結果連絡」は何も来なかった。おそらく採用の場合だけ連絡されるものだったような気がする。

やっぱり駄目だったか……。暗雲漂う中、しばらくすると、今度は、名門都立K高校の校長先生から電話があった。以前読んだ何かの雑誌で、すでにその校長先生のことは少しだけ存じ上げていた。最初に学校概要の説明を受けた後、「定時制だけどやれるか?」「日本史で受験をされているが、世界史でも地理でも、社会科全般、なんでも教えられるか?」と畳みかけてきた。

自分は日本史の教師になりたい、それが第一義であるとの思いが強く、また定時制の大変さはわかっていたので、生意気にもこの話には興味がない素振りの対応をしてしまった。その背景には、愛知県も受かっていたことがそうさせたのかもしれない。

従前、一旦断ると「任用カード」は一番後に回され採用が遠のいていく、声を掛けられたら二つ返事で引き受けなければいけないと、大学側より強く指導されていた。にもかかわらず、その時の自分は立場もわきまえず、”売り手市場”の強気の姿勢を崩さなかった。そんな訳でK高校以降、ピタリと声が掛からなくなってしまった。

そんな3月も後半に差し掛かったある日、都立I高校から電話がかかってきた。「採用面接をするからいついつに来るように」。その時、何となくこれまでのやり取りとは全く違う空気を感じた。面接も高圧的で、問答無用で迫ってくる。

私の意志も聞かず、「お前をとってやるから有り難く思え」「正式に採用となったら、酒くらい持って来い」。これが面接時に交わされた会話である。実はこの口の悪い校長先生は、後でわかったことだが、大学のOBで大先輩にあたる方であった。この当時は、試験に合格さえすれば、後はコネや学閥の人脈がかなり強烈に利くといわれていたが、まさにその通りであった。

なお、余談ではあるが、4月に行われた歓送迎会の折、例の校長先生が「まだ酒が届いていないぞ」と、アルコールの勢いもあってか冗談とも本音ともとれるような催促をされた。「誰のお陰で教員になれたかわかっとるよな」とも言われた。さすがに鈍感な私も、慌てて校長先生のご自宅に一升瓶を送り届けた。今ではとても信じられないことであった。