永禄二年(西暦一五五九年)

「永禄二年八月十日、松永弾正が大将となって、三好人数和州に乱入、筒井・十市・万歳没落」

               《『二条寺主家記』より》

河内国では守護の畠山高政と守護代の安見宗房との関係が悪化し、畠山高政は居城の高屋城を追われて紀伊へ逃れるという事件が起こった。

高政から援軍の要請を受けた長慶様は、石成友通と細川氏綱様の家臣松山重治に、摂津・丹波・播磨の三国から集めた二万の兵を預けて、河内高屋城を占拠した守護代の安見宗房を攻めさせた。

城下に群がる大軍に恐れをなした安見宗房は、呆気なく自らの居城である飯盛城に退いていき、畠山高政は高屋城に戻ることができた。

安見宗房と同盟関係にあった大和国の筒井氏を討伐すべく、儂は滝山衆と摂津の伊丹衆・池田衆を率いて摂津を発ち、既に当方に内通していた奈良の宝来氏、郡山の辰巳氏が参陣。そして大和北部を領する超昇寺殿を案内役にして、大和川口から奈良盆地に侵攻し、熱気にむせ返るような暑さの斑鳩の法隆寺に陣取った。ここから目指す筒井城までは東に一里と離れていない。

「大和は不案内ゆえ、超昇寺殿が頼りじゃ。頼みにしておりますぞ」

大和の国入りは初めてのことなので、多少の不安を儂は感じていたから、現地の領主が味方してくれることは本当に心強かった。

「はい、この超昇寺が露払いをいたすからには、ご懸念あるべからず」

超昇寺殿は余裕の表情を見せた。

「して、筒井藤勝とはいかなる者ですかな」
「藤勝は齢十一の小童(こわっぱ)。筒井家の実務は藤勝の叔父の筒井順政が後見してござる。また、筒井家には右近左近なる剛の者が二人おりましてなぁ。一人は松倉右近、いま一人は島左近と申して、これがめっぽう強いとの評判でござる」

「ほうぉ。して、その二人はまだ若いのですかな」

「二人とも二十歳そこそこと聞いており申す」

超昇寺の話のほかにも、様々な敵の情報や大和国の情勢を儂は入手している。大和国は守護不設置の国で、興福寺による宗教的支配を前提とする〈神国〉とされていた。

この〈特殊な国〉へ攻め入るに際しては、やはり慎重にならざるを得なかったし、実際に戦ってみなければ、敵の手の内が全くわからなかった。