最後の女
七月も半ばを過ぎ、週末には土用の丑の日で鰻屋にとっては書き入れどき、若旦那は気合を入れて鰻をたくさん仕入れた。でも大旦那の様子が少し変。店先に座ってはいるものの少しも仕事がはかどらない。いつものように粋に祭り装束に身を固めていたが、背中に何か紙が貼ってある。なんと『スト決行中、自由を我らに』と書かれている。
「蒲焼三枚ちょうだい」
お客さんが入って来た。
「悪いねえ、今日は蒲焼ないんですよ」
大旦那は断ってしまった。
「イヤだ、こんなに鰻あるじゃないの。少しくらいなら待つわよ」
「いえいえ、これは全部予約が入っていまして」
「ええっ、そうなの、じゃスーパーで買うわよ」
お客さんは怒って帰ってしまった。
「予約なんて入ってないだろう」
聞きつけた若旦那が飛んできた。
「お松ってとこから全部予約が入ってね」
大旦那、背中を見ろと指さして、知らんふりを決め込む。
「土用の丑は一年の半分を稼ぐんだ。おやじ勘弁してくれよ」
うずたかく積まれた桶の中には鰻がいっぱい、若旦那は頭を抱え込んでしまった。こちらはお松さんの家、もう九時過ぎだというのに掃除も洗濯もせず、テレビの前でお煎餅ポリポリ、大声上げて笑って観ている。と、二階から息子がパジャマ姿でドタバタと降りてきた。
「母さん、なんで起こしてくれないんだ。今日はセールの初日だから、遅刻できないのに」
お松さんニヤッと笑って指さした。そこには長箒が逆さに立てかけてあり、大きな紙が貼られている。『要求貫徹、スト決行中、早く嫁もらえ』と書かれていた。
「クリーニングしたワイシャツどこ?」
「自分で取りに行きなさい。スト決行中よ」
「ああ、もう間に合わない、どうしよう、どうしよう」
新任の店長さん、髪もバサバサ、よれよれのまま家を出て行ったよ、かわいそうに。
暑い日差しが照る夏の日、十条駅の改札口に二人はいた。
「今日のために浴衣、新調しちゃったの」
「浴衣姿もいいねえ、よく似合っているよ」
「恥ずかしい。大旦那の帽子おニューなの? 何着てもよく映るわね」
「大旦那はよしてくれ、二人はカップルなんだぜ」
「それでは、『お友だち付き合いから』ということで、よろしくお願いします」
なんとなく、恥ずかしい二人、でも幸せなのですよね。お店の名義は若旦那に書き換え、お松さんの息子さんのお見合い話も順調のようだし、二人とも諦めずにがんばった甲斐がありましたね。
これから浅草の浅草寺に出かけるお二人。お松さんは東京に詳しくないから、大旦那が案内役ね。渋い恋でも恋は恋、いくつになっても青春はある、惚れた者が勝ちということですかね。なんと、お松さんの日傘で相合傘、改札に向かって歩いて行きました。
よ、ご両人!