最後の女
まだ初夏のころでこれから暑くなろうという時期、お松さんは十条の焼鳥屋「鳥忠」で家政婦として、働き始めた。「鳥忠」の近くに、大きなスーパーができ、安いと評判で、開店当初から繁盛していた。「鳥忠」の売り上げは、それほど減ったわけではなかったが、以前のような活気はなく、若夫婦は気をもんでいる。
大旦那が高齢ながら元気で、夏祭りを前に、祭り装束で身繕いし鰻をさばいていた。「鳥忠」は代々鰻屋だったが、大旦那の時代に焼き鳥を始め、それが時代に乗って、今の店まで大きくしてきた。
「私は田舎者だから、東京の暮らし向きはよくわからない。一つひとつ教えてくださいね」
お松さんは若奥さんにお願いした。炊事、洗濯、掃除と家政婦のやる仕事は決まっている。若夫婦の子どもはもう大学生だったので、もっぱら大旦那の世話が多くなった。大旦那は元気とはいえ、着替えの手伝いや風呂の世話、食事を一緒になどとけっこう手がかかった。
ある日、大旦那が仕事中に指を切ってしまった。
「職人が手を怪我するなんて、こんなことは若いときにはなかった。俺も年だね。イヤだ、イヤだ、年は取りたくない」
お松さんに手当てをしてもらいながらしきりに嘆く。
「チチン、プイプイ、この指治れ」
お松さんがおまじないをしてあげると
「子どもに還ったようだ」
大旦那は大笑いして喜んだ。昼食を一緒に取りながら、いつもより話が弾む。
「あんたの味噌汁はうまい。昔の味がする」
「大旦那さんはお若いわ。粋でいなせで、都会の人はちがうわね、気が利いてお洒落だもの」
「女房に先立たれてからは、話相手もいない。悪い奴じゃなかったが、気が強くて。この店もあいつが大きくしたようなものさ」
「気の強さでは私も引けを取りませんけどね。私の亭主はいい人でしたよ」
二人は身の上話を楽しそうにしていた。