娘を連れて来談した母親は、娘が可愛くて仕方ないという言葉の一方で、お父さんに申し訳ないという言葉を繰り返した。お父さんとは娘の父、すなわち夫のことである。

この母親は若くしてお見合いで10歳以上年上の男性と結婚した。すぐに子どもは生まれなかったが、30歳を過ぎてから娘が生まれ、夫婦で溺愛したようだ。しかし夫は高齢であることから、最初から娘というよりは孫を可愛がるような態度であり、母親がこの子のしつけから教育方針からすべてを担っていた。夫にとっては夫人、すなわちこの母親が、娘のようであったのかもしれない。実際夫は2度面接に訪れたが、夫人に付き添われているというよりは娘に付き添われた父親のように見えた。

母親はそのような夫に忠実な妻であり、娘が生まれたからには、娘を非の打ちどころのない女性に育てたいと思ったようだが、いかんせん夫婦で可愛がりすぎたと自分でも認めている。早々にスーパーレディはあきらめて、猫可愛がりにこの娘を育てた。その代わり、自分の思い通りに育てようとした。その話を聞くと鬼気迫るものさえ感じられた。

幼稚園では、娘の頭にリボンの飾りをつけて通わせていたそうである。そのリボンを友だちがふざけて引っ張ったところはずれてしまい、娘は泣き出した。そのことを聞いた母親は、相手の子の謝罪を要求して幼稚園に怒鳴りこんだそうである。むろん、幼稚園にも苦情を述べたようである。娘は幼心に、大変なことになってしまって自分の身の置き所がなかった、と当時を振り返っていた。

小学校低学年までは、お誕生日パーティーを開いていた。パーティーでは、娘にティアラを付けておめかしさせたり、ドレスを毎年作っていたそうである。パーティーへのお誘いが執拗だったようで、まず招待状のカードを手渡し、電話で出欠を聞き、さらに前日には出席の確認、欠席者には改めのお誘いを電話でするという念の入れようであった。これについては母親本人も、あの頃は娘可愛さにのぼせてしまって皆さんにあきれられていたと思う、と述懐していた。

このようなかかわりでは、学校に上がるのも一苦労だったようで、小学校では親離れができず、遅刻早退が多かったとのこと。母親も、「いいのよ、いいのよ」と学校に積極的に行かせようとはしていなかった。ところが、中学校への進学時に娘が学校へ行くのを大変不安がり、入学式の日に行きたくないと言ったところ、母親は急に半狂乱になって泣きわめき、学校へ行くように言ったのだという。そのときから、お父さんに申し訳ない、と言い始めたようである。以来、娘の心にも、お父さんに申し訳ない、というフレーズが刷り込まれてしまったのではないだろうか。