病気を治すのは医者ではない?

私は、大学院を卒業して大学病院で働き始めてまもなく、自分で病院を建設しました。建設にあたっては母校である金沢大学医学部の旧校舎を購入して建て替えた部分もあります。当時は経済成長真っ只中の時代だったおかげで資金は潤沢にあり、病院経営も順調そのものでした。

戦争という過酷な時代を経験した私が医師になった最大の理由は、「病気を治す良い医者ははやる」→「忙しくなる」→「裕福になれる」という期待からでした。実際に、日本が成長へと突き進んでいく時代でしたから、病院経営そのものはとても順調でした。

しかし、医師として患者と接するだけでなく、掃除から小間使い、看護師まで、あらゆる仕事をこなさなければ回っていかないという毎日でした。

忙しいといえば、面白いエピソードがあります。私の病院は自宅と隣接する場所にあり、早朝から夜中まで働きづめの毎日でした。そんなある日、自宅に泥棒が入ったのです。分かっているだけで今までに二度泥棒に入られているのですが、いずれも仕事が忙しくてぐっすりと寝込んでいたため、朝起きるまで気づかなかったという体たらく。

一度目は座敷に飾ってあった日本刀が抜かれて広げられていた程度でしたが、二度目は自分と妻が寝ているベッドの枕元に金庫の中身がばらまかれていました。泥棒が目と鼻の先にいたにも関わらず眠り込んでいたのですから、よっぽど仕事が忙しく疲れ果てていたのでしょう。

そう考えると、病院長時代はとにかく多忙で、人としてまともな生活を送れていたのかは疑問です。医者というと、一般的には病気を治す人、という認識だと思います。しかし、私が20年間医師という仕事をして感じるのは、つくづく大変なハードワークだということ。

最近のコロナ禍の中で医療関係者の過酷な仕事ぶりに触れることも多くなりました。しかし、これは何もコロナ禍に伴う特別なことというわけではありません。かけがえのない命を預かる仕事ですから、時間がきたからといって休むわけにはいきませんし、患者さんの容態が急変すれば夜中だろうが早朝だろうが駆けつけなければなりません。

逆に言えば、そのくらいの責任感がなければ、医師という仕事は務まらないのです。医師の多くはそのような生活を続けていますから、医師が必ずしもあらゆる病気を見抜き、患者さんを健康へと導けるというわけではないでしょう。

「医者の不養生」という言葉もある通り、医者だからといって全ての病気を治せるというわけではないのです。病気を治すのは医師の力だけではありません。

確かに、外科的な治療には医師の力が不可欠です。しかし、人間がもともと備えている自然治癒力、いわば気力とでもいうべきものこそが大切なのだと感じます。一言で医者といっても、得意分野も技術も人それぞれ。いろんな医師に相談し、自分に合った医師を見つけてほしいと思います。