第二節 米子
十七歳の春のことだった。私は田舎の実家を出て、独り米子に移り住んだ。私が入ったアパートはなかば田園に囲まれた閑静な住宅街の外れにあった。私はそこで家族からも学校からも、自分自身を引き離し、それら一切の価値を否定して、自分だけの世界に入っていった。
そこであれほど欲した孤独を実現した喜びに打ち震ふるえ、孤独の闇に広がる自分の存在の感覚を満喫した。そこから旅立って学校を去ることもできれば、その前に思う存分、独り自分だけの世界で読書に没頭することもできるのだ。私はそんな「絶望への情熱」を自分の新しい真の生き方として確信していた。
私はよく窓辺に腰掛けて、ぼんやりと雨に煙る田園の風物に見入っていた。そこで自分の存在を感じながら息づき、そんな自分の掛け替えのない存在の感覚に陶酔していた。そして、そんなふうにして、家の前の用水路に浮草を浮かべて流れる水に見入った自分がいた。
春先の田圃の畦道の土くれの温もりを手の指で感じ続けた自分もいた。そうして、私はそんなアンニュイな存在の奥底から、湧き上がってくる虚無の力によって、無限の可能性が開かれ、本当の自分自身の一切が実現されることを思ったのだ。
そんなある日の夜、私は恋焦がれた初恋の疼きに耐え兼ねて、自分の部屋を飛び出すと、降り頻る夜雨の街道を大山に向かって走っていた。点々と続く街灯の灯りが、数珠繋ぎに暗黒の闇を照らし出していた。どれほど走ったことだろうか。ずぶ濡れになって立ち止まり、闇やみを仰いで息をついたが、湧き上がってくる恋する人への情熱を、いとおしいほどに感じ続けていた。
(愛することは孤独の営みでしかあり得ない。愛することは孤独になり切ることを通とおして、死しぬこと、生まれ変わることだった。それは時として自分の属ぞくする共同体を捨て去ることとして現あらわれる。)
その頃、私はそれまでの日常の生活を捨てようとして、持もっていた腕時計の針を止めてしまった。そうやって、もはや外のシステムに支配されようとはしなかった。赴おもむくままに目ざめてから学校に行き、もはや誰とも口を利かなかった。誰がそれを咎めようと、意に介さなかった。そして、ひたすら文学書を読み耽った。太宰、ゾラ、モーパッサン、マルロウ、ルソー、……と。
そんな私のニヒリズムに惹かれてか絶望の友が、キルケゴールとウイスキーを携えて、私の住まいを訪ねて来るようになった。私は初めて焼けるようなウイスキーを飲み、酔って、倒れて、反吐を吐いた。私は、確かに、何かしら自分の破滅を求めて飲んでいたのには違いなかった。
彼はそんな私をバイクに乗せて夜の街道を疾駆した。彼は「わかるよ、女だろう」と言った。私はてっきり彼が私の絶望を共有してくれるものと勘違いして、ある日、迂闊にも彼に私の絶望の計画を打ち明けた。「私はいずれ放浪の旅に出て、人知れず死ぬのだ」と。
私は彼が共鳴してくれれば、彼と共に破滅に向かって暴走していくことができるような気がしていたのだ。意外なことに、彼はそんな私の言葉をまったく受けつけなかったので、私は自分の秘密を話してしまったことでひどく不安になった。人に自分の絶望を知られることは、恐ろしいことだったのだ。