食事とトイレ、どっちが大事?
 

健一の汲み取りの仕事に対する「サゲスミ」の事例は、枚挙にいとまがない。たとえば道路工事現場の仮設トイレの汲み取りに行ったとき、

「よくこんなことしてるな。恥ずかしくないのかな。人間のやることじゃないよな」

と通りすがりの兄ちゃんたちが、話すのが聞こえたりした。しかし、健一はそのときもニコニコしながら作業をしていた。

健一は、なぜそこまでサゲスマレてもニコニコしていられるのか。健一にとって最も心がつぶれ絶望すること、それは自分に対する人の反応がまったくないことだった。

健一が汲み取りの作業をしているとき、ほとんどの人が彼のそばを無表情で通り過ぎていく。それは、健一に対する思いやりの場合もあるかもしれない。しかし、健一にとっては自分の存在が全否定されているように思えて、心が凍るのだった。

だから、どんなに見下した言葉であったとしても、それは自分の存在に気づき、認め評価してくれるものとなる。健一はその反応に安堵し、凍った心が溶けるような感覚すら覚えて、つい顔面の緊張がとれて、「ニコニコ」してしまうのだった。

健一がこのように汲み取りの仕事を楽しめるのには、もう一つわけがある。それは、健一の学生時代の恩師がしてくれた、ある日の懇談のおかげだ。

健一が所属していたゼミの教授である牛塚は、ある時学生たちに向かって、こんな質問したことがあった。

「ゼミの合宿を野外で行うとき、栄養のある美味しい食事を用意することと、トイレを用意することのどっちが大事で、どっちを先にするべきだと思うかね?」

食べ盛りの、二十歳そこそこの青年たちは、当然と言わんばかりに、「食事」と答えた。

すると牛塚はまた、

「それでは、フランスレストランで、豪華なフルコースの料理が、今まさに次々と運ばれてきているとする。そして君たちは、いつものように、腹がグーグー鳴るほど腹を空かせていたとしよう。そのとき急にトイレに行きたくなって、我慢できない。このままでは、漏らしてしまいそうだ。さあ、君たちだったらどうする?」

と両手を大きく広げて、少しおどけた素振りをしながら質問した。

すると学生たちは、当然だと言わんばかりに、

「まずトイレに行って、スッキリして落ち着いてから、ゆっくりとフランス料理を味わいます。そんなご馳走なんて食べたこともないですから」と答え、大笑いした。