牛塚教授が伝えたかったこと
 

「僕はこの食事とトイレの関係を考えると、とても大事なことが二つあると思うんだ。」

牛塚は、学生たちを見渡すと、こう続けた。

「一つは、人は何かを成そうとするときに、最終的な帰着点というか到達する事柄をまず考えてから、物事をスタートするべきではないかということなんだ。そして二つ目は、その最終的に到達すべき、自分にとって最も大事にすべき事柄というのは、実は普段自分が最も忌み嫌い、避けて通りたいと思って、後回しにしていることではないかと思っているんだよ」

学生たちの戸惑っている顔を楽しむかのように牛塚は話を膨らませていった。

「たとえば、野外でコンサートなんかのイベントを開こうとするとき、まずイベントの内容や、予算、出場者の選定、収容人数に見合った会場の確保や、電源、照明、招待客などについて考えるのが普通だと思う。トイレのことなんかは、会場や仮設トイレのレンタル会社に任せて、考えることすらしないんじゃないかな。でも、一流のイベント主催者は最初にトイレとゴミ箱の配置や数などについて考えるそうなんだ。そして、問題のないことを確認してから、イベント内容の検討に入るというんだ。ウンコやオシッコを我慢してコンサートでノリノリになんかなれないからね。それにゴミだらけの会場じゃ興醒めしちゃうし、第一不衛生だからね。ましてや立ちションなんかされたら最悪だ」

健一はなるほど、と思った。

「また、関連したものにこんな話を読んだことがあるよ。世界遺産にもなっている、姫路城についての話なんだけどね。日本一優美で堅固で、難攻不落だと言われている城の地下には、約四百年前に作られたトイレが、一度も使われず未使用のまま現存しているそうなんだよ。日本の城でトイレが当時のまま残っているのは、姫路城だけだそうだ。鉄壁とまで言われた城の建築主は、それでも籠城して戦うときのために、城の中心の地下にまずトイレを作ることから考えたのかもしれないな」

城の防御とトイレの話に学生たちはいつしか引き込まれていった。

「それから僕も、自分の年齢が六十歳を超えてきて考えるようになったことが一つあるんだ。それは『死』ということなんだ。誰でも死ぬことは恐ろしいだろうし考えたくもない。それに普段生活しているときは、そんなことは考えることすらしないし、自分が死ぬなどとは思ってもいない。

でも、誰でもいつかは死ななければならない。それなのに普段はそのことを忘れている。これはどうしてかというと、社会心理学や災害心理学で言う『正常性バイアス』の働きによるものらしいんだ。人間には自分にとって都合の悪い情報を無視しようとしたり、過小評価したりしてしまう特性があるそうなんだよ」

ああそうか、ほかの人は自分や自分の家族だけは障害者にはならない。そういうバイアスにかかっているから、皆ぼくのことを奇異な目でみたり、無視したりするんだろうな、と健一は思った。