しかし、そんな夢見るような日々に、再び凋落の時節が訪れてきた。十五歳の春のことだった。私は米子の進学校の受験の日、眠れぬままに朝を迎え、浮足立っていた。
試験の結果は、合格には違いなかったが、またしても酷い成績だった。私は次の実力試験にも敗れると、夢も誇りも失って、自分が井の中の蛙だったことに気づかされた。
そして、田舎者の劣等感に苛まれながら、都市部の秀才たちと競い合わなければならなかった。私は自信を取り戻そうと、追い立てられるように勉強に勤しみ、成績は上がって二番にまでなったが、そこまでだった。私は遣りすぎた勉強に疲れ、意味もなく、目的もなく、ただ走り続ける苦しみに喘いだ。
そして、寒々とした夏休みを迎えた。黄色味を帯びた視野は暗く、後頭部には微熱が続いた。私は衰弱した神経と混濁した頭脳をもって、解けない数学の問題に取り組み、読めない英語の文章に取り組んだ。やがて一歩も前に進めない苦しみから恐怖に満ちた苛立ちに襲われた。絶望が近づいていた。私は強迫観念から逃れようとして、寝転がって芥川や直哉を読んだ。私は救われようとして自ずから観念に従うことを止めて、存在に従おうとしていた。
その夜、勉強机の上のランプに飛んできた無数の虫が群がり、苛立った私はランプの下に水槽を置いて、溺れて苦しむ虫を見つめていた。そして、そんな自分に激しい自己嫌悪が生じた。体制に認められようとして、仲間たちを出し抜いてきた自分、仲間たちに勝って有頂天になってきた自分、仲間たちを嘲笑い馬鹿にしてきた自分、そんな自分が敗北して無能を呈するに至った。私はそんな自分に対する罪悪感とも、羞恥心とも、絶望感とも知れぬ感情に苛まれ、激しく自分を否定した。