四天文十七年(西暦一五四八年)
高屋城の包囲を解くにあたって結ばれた和睦の約定通り、風薫る麗らかな皐月の晴れの日、長慶様と遊佐長教の息女との婚礼が越水城で行われた。
明らかなる政略結婚であるが、婚儀の席では可愛らしい姫御前を横にして、長慶様は満更でもない面持ちで夫婦の盃を交わした。
婚儀から数日後、岳父となった遊佐長教から長慶様宛に信じがたい内容の 文が届けられた。
長慶様は一通り目を通された後、しばらく考えておられたが、その文を儂に手渡され、
「どう思う」
と問われた。
文には……、
長慶様の父元長様が自刃に追い込まれた経緯について、元長様が法華宗の庇護者であるのを理由に、細川晴元は、法華宗と敵対する一向一揆を焚き付け、当時勢力を拡大しつつあった元長様を攻めさせ、滅ぼしたのであるが、その裏には三好家における実権を独り占めせんとする三好宗三の暗躍があったのだ。
……という内容が詳細に記されていた。
『あの宗三ならやりかねない』と儂は思いながらも、別の視点から意見を述べた。
「御父上様のご生害に宗三様が関わっていたことは充分に考えられます。しかしながら殿、私が思いまするに、これは河内守様(遊佐長教の官途名)が三好家の分断を狙って策を弄した文と存じます。殿と宗三様を仲違いさせて三好家の勢力を削ごうとする目論見かと」
策士で老獪な遊佐長教なら考えそうなことだと儂は思ったので、こう返した。
「弾正忠もそう思うか」
と言いながらも、長慶様の表情には、宗三に対する疑惑の念が色濃く浮かんでいた。