佐久総合病院若月俊一院長農村医学会の創設者

戦後間もなくの昭和二十二年には、早くも農村医学研究会を病院内で開き、これを発展させて農村医学会を設立しました。

そこには、医師、看護師、保健師から国保職員、農民代表など、さまざまな人たちが参加し、農村における問題点を学習しました。

こうして第一回農村医学会を昭和三十六年に開催し、若月院長が会長として指導しました。

その後、この学会は日本医学会から認められ、農村における公害、農薬など、幅広い課題に取り組み、情報を交換し、討論を重ねて発展してきたのです。

昭和四十四年十月には、第四回国際農村医学会がこの臼田の地で、四日間にわたって開催されました。参加者は国内から五百名、海外からの参加は二十六カ国、八十名にのぼりました。

その会長となったのが、若月院長であり、多様な興味ある共通の課題に関しての講演、研究発表、情報交換、病院並びに地域住民の視察などがありました。

主な参加国は、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、東西ドイツ、スペイン、チェコ、ブルガリアさらにケニア、ウガンダ、ナイジェリア、インド、インドネシア、フィリピンなどに及んでいました。

一九七六年、若月院長は、農村医療に尽くした功績により「アジアのノーベル賞」と呼ばれる「マグサイサイ賞」を、社会指導者部門で受賞しました。さらに晩年には文化勲章まで授与されたのです。

私は一度、WHOの脳卒中追跡調査の件で、若月院長に院長室でお目にかかったことがあります。私のような後輩に対し、温厚で謙虚な態度が印象に残っています。

佐久総合病院も浅間病院も、小海線の沿線にあります。小海線は、山梨県の小淵沢から長野県小諸を結ぶ鉄道で、途中の野辺山は標高千三百四十五メートルとJRの最標高駅として知られています。

千曲川に沿って、南佐久郡と北佐久郡があり、北佐久郡に浅間病院、南佐久郡に佐久総合病院がありました。(現在では両病院共、佐久市の中心地にあります)。

この小海線という長野県内でも最も医療に恵まれない地域で、国保浅間病院の吉澤國雄院長と厚生連佐久総合病院の若月俊一院長という二人の偉大な人物が、住民の保健・福祉のために献身的な活動をいたしました。

それは、たちまち長野県全県に及び、長野県を全国一の長生きで医療費が少ない健康長寿の模範県としたのです。没年齢を見ると、吉澤先生は九十三歳、若月先生は九十六歳という長寿でした。

これこそ健康長寿の鑑といえるのではないでしょうか。