神様の俳句講義 その八 山粧
立秋は過ぎたが、夜の暑さが続いていたので寝る時に、部屋の窓を半分開けていた。
その窓から、明け方、涼しい風が入ってきた。私は布団の中で目を開けて、新涼(秋の季語)を味わっていた。その時突然、灰色の直径六十センチくらいの煙が入ってきた。
そして三十代の和装の男の姿になった。顔はハンサムで意志の強そうな目つきである。俳句の神様の登場である。
「俳句の調子はどうかね」
「相変わらずです。今も、布団の中で一句考えていたのですが、うまくいかなくて。秋になったので、肘折温泉に行った時に見た月山の麓の紅葉を詠もうとしています。取り合わせで斬新な句にしたいと苦吟しています」
「季語は」
「山粧うを上五にもってきます」
「それに何を取り合わせるつもり」
「それを考え中です。つき過ぎてはいけないし、むしろ思い切って離れた物をと思っています」
「季語の本意は何」
「秋の山は、華やかで明るくそれでいてどこか寂し気なところもあると、歳時記に書かれていました」
「それを物で表わすと何かな」
「今、ふと思ったのですが、誕生日にもらったチョコレートはどうでしょう。三十個くらい入った、大箱のチョコレートで、一つ一ついろいろな色の包装紙に包まれていました。箱を開けたら、赤や黄色や緑や金色、銀色が目に飛び込んできました。秋の山が紅葉によって、チョコレートの包み紙のような鮮やかな色に染まっているとみて、山粧うチョコの多彩な包み紙でどうでしょう」
俳句の神様は間髪を入れず、
「だめだね。全くだめだね。包み紙では、山が紅葉で包まれているという見立てでつまらない。包み紙でなく、中身のチョコレートで勝負すべきだろう。山の紅葉の色鮮やかさに、響きあう物はないか。色を表す物以外で」