落語家が魅せた言葉の力

「人間はね、話を聞くのが好きなの。そうやって、たくさんのことを伝え合ってきたの。ユーコちゃんだって小さい頃、昔話とか聞くの、好きだったんじゃない?」

二杯目のビールを、今度はちびりちびりと口に運びながら、恵さんは少ししんみりした口調になる。テーブルにやって来たお刺身がつやつやと美味しそうだけれど、さすがに箸は伸びない。

「今の学校の子たちは真剣だわ。文系の選択の授業なんて、みんな肩に力が入ってる。受験のことしか考えてない子も多いから、こっちもそれに応えなきゃって、思いはする。でもね、それだけじゃイヤなんだ。歴史は棒暗記の科目なんかじゃないって、ユーコちゃんだって分かってるよね」

それが分かっているから、歴史学科に進んだのだ。でも、そのことを伝える術を持ちきれないから、こんな風に時に自己嫌悪に陥る。名人と呼ばれる域には、とてもじゃないが近づくことすらできないだろう。

でも、伝えるための何かは、例えばコンピューターの映し出す映像以上に、自分の中になければいけないのだ。そう、思う。多分それは、単なる技術ではない、と。

恵さんは、目を閉じて二杯目のビールを飲み干した。言いつのって言葉を重ねるのが嫌いなヒトなんだ。後は自分で考えなさい、と、その綺麗な喉のカーブが言っている気がする。その顔が、寿司の盛り合わせが運ばれて来たら、急に穏やかになった。

「食べよっか。ちょっと、話題がカタくなっちゃったね」

漆黒のロングヘアと、形のいい眉。今は好物を口にして相好を崩している、その少し厚めの唇。同性の佑子から見ても魅力的な女性ではある。でも、恵さんはパートナーのヒロさんとの結婚を、まだしていない。ずいぶん長いこと一緒に生活しているはずだけど、どうするのかな、と佑子は顔を合わせる度に思うのだけれど。

「でさ、ユーコちゃん。カレとのこと、どうするの?」

テーブルの向こうで、恵さんは艶っぽく微笑む。

「和泉先生、ちょっといいですか」

昼休みの職員室の机で、頬杖をついていた。恵さんに突きつけられたことに思いを巡らせていたのだが、答えになりそうなものは、見当もつかない。

自分は何かを伝えることができているんだろうか。自分が立っている場所が、何かの勘違いの結果のようにも思えてくる。そんなタイミングで声をかけられたものだから、ビクンと背筋が伸びた。体育科の山田やまだ先生。同年輩の、サッカー部の先生だ。

「さっき、二年の授業の後で足立に相談されたんですけど、ラグビー部がグラウンドを広く使える日をくれないか、って」

「あ、足立くんが?」

山田先生は少しだけ微笑む。

「ラグビー部、活気出てきましたもんね。まぁ、ウチの部も人数多いんで、難しいんですけど、週イチくらいでどうでしょう」

「あ、それは。有り難いです」

さし当たって、月曜日のグラウンドをラグビー部の優先にする、という相談がまとまった。せっかくスパイクシューズを手にしても、砂浜では使いようがない。