読書感想文を楽しくするには 人生訓を教えてくれるという通念を捨てる
まずは、国語の教科書や読書感想文のために読まされてきた指定図書とはまったく異なるジャンルの書物がたくさんあるということに、早く、そして自ら気付くことです。
たとえば、ミステリーや推理、ホラーやSF、冒険モノや学園モノ、なんでもいいのですが、普通の文学ではないジャンルの本があるということに気付くべきなのです。
最初は、簡単なライトノベルでも、短編でも、挿絵の多いものでもいいと思います。要は、良識だけにとらわれない、先の展開の読めない本です。
国語の教科書に載っているような作品とは違う、極端に言えば、努力の報われることなどいっさいない、人生の教訓など織り込まれていない、愛や平和など何の役にも立たない、不平等からはじまる世のなかの仕組みの妥当性を説いたような、そういう道徳としての読書から脱することも、おそらくはきっとある時期においては重要だと考えます。
日本の国語教育に多い、良い本イコール何らかの人生訓を教えてくれるという通念を捨てる必要があるのではないかと、勝手ながら考えています。
面白くない本というものは、その本がよくない本だからというわけではけっしてなく、多くの場合、いまの自分に必要ないから興味が持てないのです。
読書感想文の指定図書も、幅広いジャンルのなかから、まずは生徒自身で選ばせるというところからはじめれば、少しは違うかもしれません。
そのときの選ぶコツは、物語の主人公と自分との間に、共通点や似ているところがある本を選ぶということです。
自分の好きなことや趣味をテーマにした本でも構いません。主人公と自分とを置き換えて考えることができれば、多少は感想が書きやすくなります。
いま考えると、横溝正史や京極夏彦や三津田信三なんかを読んで、トリックの怪しさと遺産を巡る骨肉の争いと虐待への怨念についての感想を書けばよかったと思っています。
それにしても、学校というところは、散々書かせるだけ書かせておいて、どう直せばいいのかを示された覚えはないですね……。
まとめ
読書感想文に関して、まるで恨み節を語るように、かなり辛辣なことを述べてしまったかもしれません。
それくらい読書感想文が嫌いでした。幸か不幸か、私は、必要に迫られて読書をせざるを得ない状況となり、さらにこの年になってようやく自主性に目覚めました。
本の必要度はそれぞれだと思うのですが、因果なもので、読書嫌いの反動によって、いま私は本を読んでいると言っても言い過ぎではなく、そういう意味ではどっちもどっちという気がしています。
”黒い雨”に打たれ、放射線障害に蝕まれてゆく姪との忍苦の日々を、人間性の問題として描いた『黒い雨』を、自分が福島の原発事故被災地に来たことで、いまではすっかり共感を持って読めるようになりました。