継続
「東北の被災地のボランティアで、無料で散髪のサービスをやってもらおうと思うんだけど、参加してくれないかな?」
「いいですよ」
東北の大震災が起きた年、お客さんから声をかけられて、被災地で髪を切るというボランティアに俺は参加した。何か自分にできることがあるなら、と喜び勇んで現地に向かった。まだ瓦礫が山積みになっている街を窓越しに眺めながら、惨状を目のあたりにして胸が張り裂けそうだった。
集合仮設住宅近くに準備された広場に、朝九時から夕方の四時まで、途切れることのない人の列ができた「無料カットサービス」。年老いたご夫婦、幼児を連れたお父さんお母さん、学校に通えずにいる中高生……、老若男女問わず、誰もが髪を切るということが非日常のことになっていた。
「席へどうぞ」
順番が来て案内されると、どの人も鏡に映る自分と向き合うのが恥ずかしそうだった。緊張しなくていいように俺が話しかけると、目を輝かせ歯を見せて笑ってくれるのが嬉しかった。クシで髪をとかすと髪本来の性質が出てくる。
日々の生活で、まとまりのいい髪をキープできるように、髪質を見ながらカットした。毛先が揃うとまとまりが生まれ、無造作にはねたり絡まっていた髪がみるみるうちに輝きを取り戻していった。最後の仕上げを手鏡で確認する頃には、新しく生まれ変わった自分と対面するように、誰もが満面の笑みを浮かべて鏡を見つめていた。
外見の変化は、外見にとどまらず内面に影響を与える。思うようにいかないことがあったりしたら、美容院で髪を整えたらいい。必ず気持ちが明るくなる。
休憩で仮設トイレに行った時のことだった。それまで気付かなかったが、周りには他にも店が出ており、美容室コーナーをもっている人がいた。
「カット千円」と段ボール裏に書かれたボードが置かれ、客用の椅子と机、その上に置かれたスクエアの小さな鏡。がらんとした場所でひっそりと佇む、自分よりも年上の男性の姿。椅子に座ったまま客が来ないかと遠くをみやる眼差し。心が波立ってきた。机の上に置かれたハサミ、持ち手が黒いプラスチックで覆われた家庭用のハサミ、それが職人用のハサミでないことはプロであれば一目でわかった。
ぎゅっと胸が強く締め付けられて苦しくなった。お店は震災で倒壊してしまったのかもしれない。生活物資は全国から届いても、被災地の方にとっては少しでも生活のためにお金は取っておかなければならない。無料カットサービスは恵みの雨だった。でも一方で、生業をたてなおそうとしている人のためになったか? そこに行かなければ知らなかった現実がそこにあった。
短い休憩を済ませて、自分のコーナーに戻ると「無料カット」の看板の前にすでに人が並んでいた。
「お待たせしました、どうぞ」
先頭にいた高校生の年頃の娘がいそいそと着席した。
「ボブにしてください! あと、めちゃ可愛くしてほしいです」
「うん、ボブ似合うよ。やってみよう」
背中まで長く伸びた黒髪にハサミを入れる。
ハサミを握りながら、先ほどの心の波が強くなってきた。あの男性の背中。もし自分があの人だったら何を願うだろう? 寝食を忘れて腕を磨いてきた俺たち美容師にとって、人の髪を手入れすることが喜びに違いない。それができるように何かできないか。
その日最後のカットを終えると、仕事を終えたハサミをセーム革で磨いた。髪一本たりとも残っていないように隅々まで。そして、道具ケースの中から別のハサミを取り出した。こちらも磨いて、天にかざして汚れのないのを確認すると、それをもって先ほどの男性のところへ向かった。