絆の海

午後になるとエノモトさんが来店した。

「ケンさん、久しぶり!」

「お久しぶりです。今日は会社ですか?」

「ずっとテレワークだったけど今週から会社に戻ったの。それより、お店、自粛期間大変だったでしょう?」

「はい。でも、お陰様で何とか続けられましたよ」

「いま本当に個人事業主は大変だから心配したよ。ケンさんのお店大丈夫かなって」

こんなに自分の店の経営まで心配してくれる人がいるなんて、その気持ちが胸にしみた。大変なのは自分だけじゃないって戒めていたけど、この状況を理解してくれる人がいることで救われる気がした。

「ありがとうございます。俺もエノモトさんの髪を長くお世話できるよう頑張ります」

若かりし俺が失敗から学ぶきっかけとなった。あれから十年、技術だけでなく人間として信頼されることの大切さを教えてくれた。あの失敗は永遠に忘れることはできない。

一人そして一人が、俺のことを忘れずに戻ってきてくれたことがありがたくて、感謝しかない。たくさんの人に支えられて、店を続けることができた。逆に、うまくいかなくて離れてしまった方もいる。その一人ひとりとの出会いがなければ、ありえなかった現在がある。バインダーの予約帳、そこに記された名前を見て、一人また一人と顔を思い出した。

先が見えないトンネルの中のような日々に出口が見えて、店に光が差し込んできた。人々の生活に寄り添い、いつでもここに来て、疲れを落としすっきり笑顔になって帰っていく人の幸せのために、小さな志を抱いて営んできた。会えなくても、島が海底で深くつながっているように人と人の絆が確かにつながっていた。

十年目にしてこの出来事は、俺に大きな意味があったのかもしれない。お客さんが見えなくなるまで外で見送ったあと、しばらく街を眺めていた。どこまでも澄んだ真っ青な空の遠くにうっすらと虹がかかっていた。その虹に向かって目を閉じ、手を絡めて、心の中で願い事をつぶやいた。

「この絆が永遠に続きますように」