「すいません、突然」
声をかけると、男性は座ったまま視線を上げて自分を見た。
「自分も小さい美容院をやっていまして、ご縁あってこちらに来たんです」
同じ美容師であるということが、男性にどんな意味をもったかわからない。自分にとってはこの人とつながったような感じがした。
「おお、そうか」
男性は座ったまま返してきた。
「あの、良かったら使ってください」
俺はもっていたハサミ一丁を手渡した。
「えっ?」
目をまんまるに見開いて男性は言葉を失ったまま、ハサミを見つめていた。
「通りかかった時に、家庭用のハサミが並んでいるのを見たもので。これは自分が以前使っていたんですけど、今は出番がないので、良かったら使ってください」
男性はハサミを右手に取るとカチカチと動かしてみせた。
「いいね」
男性は目を閉じてその音を聞いていた。俺は触ってくれたことで、受け入れられたような気がしてほっとした。
「もう家も失った。着の身着のまま避難してきた。やっと、何か始めないとと思ってボランティアの人に話したら買ってきてくれたのよ、このハサミ。使いにくいけど、ないよりましだった。ありがとう、本当にありがたい」
男性はもうそれ以上の言葉はなかった。突然の禍で大きな悲しみを抱えざるを得なかった。すべてを失っても再起をかけて歩みだしている、美容師として。俺は何としてもこの人の力になろうと思った。被災地で生きる人々が、少しでも明るい笑顔になれるように髪を切ってあげてほしい、それがその人の喜びだろうから。そんな仲間の再起を支えることが自分のやるべきことかもしれない。