網棚の男

毎朝 有楽町線小竹向原駅七時三十六分発の地下鉄に乗っています

有楽町線は混んではいるけれど 他の線よりはましだと聞いています

僕もそう思います

僕はいつも網棚に寝そべっています

みんな 鞄をのっけるので 窮屈だけれど

網棚の上を這い回って お気に入りの鞄を探すのが

僕の日課です

網棚から網棚へと飛び移るのは

なかなかの見ものだと思うのですが

残念ながらそれに気づく人はいません

なぜか 僕は網棚から降りることが出来ません

どうやらそれがルールのようです

若い人のリュックより 使い古されたサラリーマンの鞄が好きです

お気に入りの鞄の取っ手を見つけた時の喜びは

例えようもありません

持ち主がすぐに降りてしまわないように願いながら

僕はゆっくり鞄の取っ手を舐めます

ほろ苦くて 少ししょっぱい取っ手

僕の鞄の取っ手も こんな味がしたんだろうか

つまりそれは手のひらの味 なのでしょう

生きていた時 僕の手のひらもこんな味がしたんでしょうか

帰る家も わからなくなってしまいましたが

毎日乗ったこの地下鉄に 記憶が染み付いて

死んでしまった今でも こうして毎朝乗っているわけです

永田町駅に着きました

鞄の持ち主が取っ手を持って

慌てて手をズボンの脇で拭きました

思いがけず湿っていたので 驚いたのでしょう

もうすぐ電車が有楽町駅に着きます

いつもこのあたりで自分が薄れていくのがわかる

それでは皆さん

また明日