春の小川

あの人の名前を

記憶の押入れの奥深くに

仕舞っていたけれど

そろそろ

取り出してもいい頃だ

確か

客用の布団の間に挟み込んでおいたはず

押入れを開けて

腕を布団の中に差し入れる

長い間仕舞い込まれていた布団は

ひいやりと湿気を含んでいる

心当たりをまさぐるが

あの人の名前は見つからない

そもそも触った感じがどんなだか

それすら忘れてしまっている

やがて久しぶりに触れた外気が

思いもよらぬ影響を及ぼして

だんだんに布団がふくらみ始める

押入れからあふれ出し

布団が春の小川になる

探し物は見つからないが

眠気を誘う春の日差し

川っぺりの

つくしや

たんぽぽなんかを眺めながら

布団の川をたゆたう私

気が付くと

すぐそばに

たゆたうあの人

なんだ

こんなに近くにいたのかと

拍子抜けするような

でもやっぱり嬉しい気持ち

そしてつらつら考えるに

私たちはどうやら

ドザエモンになったらしい

それがどの時点からかわからないが

うかつにも

布団の川で溺れて死んだのだ

どんぶらこどんぶらこと

私たちは流れていく

ぬるい川

まどろみながら

私たちの細胞は

ありったけの水分を含み

もうこれ以上無理

というところで

一つ一つ破損する

そうして

細胞たちは

ほろほろとほどけてゆき

私たちは

のどかに腐って

溶けて流れてのーえ

となる

布団の川の

おだやかな溺死

ところで

あの人の名前は

見つからずじまいだが

このように

小川と

私と

あの人は

この上なく

分かちがたい状態に達したので

これを大団円としたい