海辺の学校で
狭いグラウンドは、多くの部員を抱えるサッカー部が優先的に使っている。ラグビー部に許されたスペースはほんの少しだ。けれども、学校の体操服に着替えた五人の一年生を従えた足立くんは、きちんと胸を張って楕円球を抱える。
五月も後半に入った。中間試験も終わり、一年生が加わってから六回目の練習だ。ラグビー未経験の一年生には、まず楕円球の扱いを教えなければいけないが、どうにも不安定な手つきのまま、むしろ彼らはボールに遊ばれている感じに見える。
「両手でボールの腹をつかむんだ。ワキを締めて両手の小指で押し出すようにパスして。フォロースルーの後で、パスの方向に指先が向いてるのが正解」
足立くんの説明に頷きながら、それでも五人のパスはぎこちなく、少しも正確には飛ばない。
ラグビーは前に向けてボールをパスしてはいけない。少年たちは横並びになってパスを繰り返すが、無理に左右に身体をひねってボールを送ろうとするものだから、コントロールがままならないのだ。
彼らが広いグラウンドでラグビーをプレーするようになれば、これを走りながら行わなければならないわけで、焦れる足立くんの表情を見守りながら、佑子は何か変化を図る必要があると思った。
「足立くん」
呼びかけると、彼はハッとしたような表情で振り向く。
「龍城ケ丘高校って、近くだよね」
「平塚ですからね。歩いて行っても、うちの学校から十五分くらいですよ」
「龍城ケ丘のラグビー部って、今はどうなってるのかな。知らない?」
佑子の高校時代、県西の強豪の一つだった龍城ケ丘高校とは、ティームの節目になるような試合をやったことがあった。紺と白のボーダーのユニフォームが強大な壁に見えたような試合も、その壁を打ち破ってティームの将来を見通せたような試合も。
「ウチが廃部寸前だったから、最近はほとんど交流なかったし。オレも一緒にやったこと、ないです」
「連絡取ってみてもいいかな。どう思う?」
足立くんは、曖昧な笑みを見せるだけだ。まだ、他校と一緒に練習できる段階じゃないし、ということなのか。でも。
「ランパス、やらせてみてもいいですかね」
足立くんの視線は、ぎこちないパスを続ける一年生の方を向く。佑子は頷いてみせた。
狭苦しいスペースでは大した距離を確保できないし、ダッシュすればすぐにテニスコートのフェンスが迫って来る。
「浜に行った方がいいかな」
足立くんに促されて、五人の一年生は手に手にボールを持って、少し明るい表情になる。
スタンディングパスばかりでは、さすがに単調に過ぎる。
砂浜の解放感の中で、足立くんは五色のグラウンドマーカーを置いてゆく。少し考えながら、白、赤、青、緑、黄色、もう一度白。それぞれ二メートルほどの幅で置いて、さらに軽やかに走って五〇メートルほど離れた位置に、同じ順に並べる。佑子も砂に足を取られながら、部員たちの傍に歩み寄った。一年生たちにやるべきことを告げた足立くんは、不意に佑子に視線を合わせる。
「先生、ランパス、分かりますよね」
佑子は目だけで頷いた。
「これ、ノックオンやスローフォワードがあったら吹いてください」
レフリー用のホイッスル。ずいぶん年季が入った感じのそれは、すっかり赤い色がかすんでしまった紐に巻かれている。
白いマーカーの所に立ってボールを抱きしめている前田くんに、青いマーカーの所から足立くんが声をかける。
「なごみ、出ろ!」
前田くんは、少しなで肩だ。その肩を揺らして、いきなりダッシュした。砂地を駆ける。
穏やかな丸顔やなごみという名前を裏切るような、凶暴ささえ感じさせるような、蹴立てる砂。後生大事なもののように抱えたボールはそのままだ。隣にいた保谷くんは置いていかれた。足立くんはさすがにそのダッシュを追ったが、西崎くんも石宮くんも澤田くんも、あっけに取られて立ち尽くすばかりだった。
「なごみ! 右っ!」
足立くんは大声で叫ぶ。佑子の立つ位置からは、二人の背中しか見えない。が、前田くんが抱きしめていたボールを持ちかえようとしたのは分かった。そのとたん、ボールは前方へと大きく弧を描く。砂の上に、バウンドもせずに落ちた。
佑子は慌ててホイッスルを吹く。ほどこうとする紐が手に絡まった。ノックオン。ボールを前に落とすと、レフリーの笛は鳴る。思わず強く吹いたせいで、大きく鋭い音が響き渡った。取り残されていた四人の一年生の目が、佑子の方を向いた。ジョギングのスピードで、二人はボールを受け渡しながら戻って来る。足立くんの頬は少し緩み、目には優しい光がたたえられている。
「なごみ、いきなりフルダッシュなんて、ムリだって」
前田くんの丸い顔が、照れくさそうに赤みを帯びている。