舞は音曲に従う。

言葉の紡ぐ物語、描き出す情景、それらは節に乗ることで肉付きを得、舞台の空間を満たす。空っぽの舞台が物語の世界となる。その中でこそ為手は物語の主人公として受肉する。魂を持った者としてそこに立ち現れるのだ。

音曲には拍子があり、節がある。小歌節のような伸びやかに言葉を流れさせるものもあれば、曲舞節といって拍子を際立たせ言葉をこねるように連ねていくものもある。

そういう節により、拍子により、舞の手も変わる。同じ舞の手をしても、合わさる音曲の調子によって見る者の印象が変わる。

世阿弥の教えに、風情を念頭に置いて作詞せよ、ということがある。能の詞章は理詰めに書いてはならない。舞ったときの印象を思い描いて言葉を連ねる。

そのためには物語の順路としては行きつ戻りつすることさえある。その言葉が節に乗り、積み重なっていって全体として一曲の能の姿を表すのが良い能なのだという。

これは氏信にとって最も難しい、いまだに試行錯誤を続けている課題の中心であった。

そもそも音曲というものがひと色ではない。拍子に合う謡、合わぬ謡、早節に切拍子 、小歌節もあれば曲舞節もある。その曲舞節も元から能にあったわけではなく、観阿弥が導入したものだ。観阿弥という人は、どんな役を演じるにも工夫をこらし、千変万化の音曲を使いこなしたという。

その結果として猿楽の能は驚くほど彩り豊かなものになった。氏信は観阿弥や世阿弥が練り上げた音曲の豊穣な世界を学んでどうにか作曲の真似事をしているものの、こと音曲の点では新しいものを付け加えることができるとは思えない。

音曲の世界は果てしなく奥深く、しかもそれが舞を、能全体を支配している。

それが実感としてわかるがゆえに観阿弥や世阿弥の偉大さがますます膨れ上がり、新しい能を書くことさえ自分には僭越なふるまいなのではないかと思い、くじけてしまいそうになるのである。

江口の能の謡を習いつつ、自分が舞うべき舞台を何十回、何百回と思い巡らす。

この能を歌と舞の二曲でどこまで表現できるか、難しいからこそいっそう闘志を燃やす氏信であった。