温故知新 お年寄りは生き字引
三世代同居9人家族、日々の暮らしの中に昔があった。何気ない会話や遊びの中で学ぶことは多かった。昭和一桁生まれの親3人は戦前戦中戦後の生活、昭和初期の楽しみと苦労話を、折に触れ私や孫に聞かせてくれた。父は小学校に依頼され、戦争の体験談を語りに行ったことがある。孫やその友達の前で朴訥(ぼくとつ)と話す父の姿が思い浮かぶ。
私は核家族育ち。だから祖父母を近くに感じたことはなかった。一方、我が家の4人の子ども達のそばには、いつも二人のおばあちゃんとおじいちゃんの存在があった。それは彼らの人間形成上、とても為になり生きた勉強になった。年寄りとの生活は大変で嬉しいもの。やってみての実感だ。
まだ子ども達が幼かった頃は、遊びの中で教わった。囲碁が趣味の父とは、よく「五目並べ」や「はさみ打ち」をして遊んでいた。囲碁は難しくて断念。代わりに将棋を教えてもらい、オセロゲームにトランプ、かるた取りにすごろく遊び、「勝った」「負けた」の叫び声がいつも聞こえていた。ことに父はトランプの「7並べ」が大好きで、本気になって何度も何度も孫たちと真剣に勝負していた。
そんな仲良く賑やかに過ごした思い出は、みんなの一生の宝物。後に始まる介護生活の後悔や、別れの辛い思い出ばかりが胸にあったから、昔の楽しかった時間を思い出せて救われた。
母とは折り紙、あやとり、お手玉、塗り絵。娘たちは大好きなおばあちゃんを独り占めして嬉しそうに遊んでもらっていた。「ほおずき」の季節になると決まって「あなた達ほおずき知らないでしょ。おばあちゃん鳴らすの上手いのよ」と得意気に、だいだい色の可愛い小さな実を器用に扱い、鳴らして見せてくれた。