満身創痍 娘
泣いた数だけ幸せに怪我をすると傷は一生残る。どんなに時が経っても、心と体についた傷がすっかり癒えることはない。娘の朱里は6年前に大怪我をした。その傷のせいで娘と私は今も苦しい。
小6の3月、野球の打ち上げの最中に事故は起きた。少年野球チームの母子大勢で祝勝会を開いていた時、食べ終わった子ども達は隣接する公園で追いかけっこを始めた。夜の8時頃だったから弱い街灯の下公園は暗い。娘は低い所にあった鉄の柵を右足の脛で思い切り蹴り上げ骨を2本折った。開放骨折、全治半年の大けがだった。
友人の車で連れて行ってもらった近くの大学病院に、その夜、整形外科の先生がいなかったため、救急車で遠くの病院に回された。そこで2日間を過ごした後、最初の大学病院に搬送され手術を受けた。そして長い闘病生活が始まった。
私がお酒を飲んでいた時に起きた事故。責任の一端は私にもある。娘達からは「もう一生お酒を飲むな」と言われた。もっともだ。私を責めなかった朱里と夫にも顔向けできなかった。
一か月で禁酒を断念する自分も情けなくて恥ずかしかった。辛いことが沢山あった入院生活だが、いくつか楽しい思い出もある。
大学病院に戻された一番痛く辛い時に素敵な出会いがあった。彼の名前は「斎藤先生」。
母娘二人心身ボロボロだったその時、最初に傷を診てくださった先生が斎藤先生。爽やかさを絵にかいたようなイケメンで、二人は痛さも辛さも忘れ見とれていた。白衣の天使ならぬ「白衣の王子様」。先生って大事だなとつくづく思った。
「人生悪いことばかりじゃない。希望を捨てずに前を向いて頑張っていこう」と、先生に会った瞬間、二人同時に思った。
小児科病棟に入院したから、看護師さんも幼稚園の先生のように可愛らしくて優しい人ばかりだった。偶然足のケガ仲間の6年生の女子二人もいて「院内卒業式」もしていただいた。
暇つぶしに娘に編み物を教えたり「絵しりとり」をして遊んだり、ゆっくりした時間を共有することもできた。絵しりとりなんてすっかり忘れていたが、娘は授業中、隣の席の男の子と今もよくやっているそうだ。それを先週聞いて、スケッチブック一冊に描いて遊んだことを思い出した。
卒業式の日は一時退院させてもらい車いすで出席。校長先生に舞台下まで来ていただいて、卒業証書を受け取った。