愛別離苦  誕生日が命日

7年前の私の誕生日に父が急逝した。

デイサービスで昼食を喉に詰まらせ、病院に運ばれ、一時意識は戻ったものの夕方には帰らぬ人となった。余りにも突然の死。救いだったのは、母と姉と私の3人に見守られながら、最後は穏やかに眠るように逝ったこと。

享年81。優しくて、背が高くて、ハンサムで、物知りだった父。晴耕雨読そのままに、晩年は畑仕事と囲碁と読書を楽しんでいた父。お酒と家族と孫をこよなく愛する自慢の父だった。

亡くなるその日の朝、父に聞かれた。

「今日は雅子誕生日だな。幾つになるんだ?」

私の答えはぶっきらぼうにも「47」の一言だけ。

なんでその時に「もう47歳よ、いや~ね。でも子供たちもおかげ様で大きくなったしね。パパ色々とありがとうね。ご馳走つくるから夜はビールで乾杯ね」くらいのことを笑顔で返すことが出来なかったのか。その後今まで、どれほど後悔したことだろう。

三世代8人の大家族の暮らしは賑やかで楽しかった半面、衝突も日常茶飯事。

反抗期真っ最中の子ども達とは相いれないことも多かった。こちら立てればあちらが立たず、子育てと介護に余裕を無くしていた私は、そんなことさえ言えないほどに余裕を無くし、心が疲れていたのだと思う。

毎日繰り返される朝の喧騒の中、まさかそれが最後の会話になるなんて、どうしてその時にわかっただろうか。大切な人との別れとは、いつでもそんなものなのだろう。辛い体験をして実感した。