隔靴搔痒 かゆいところには手は届かない
子育てはもどかしいもの。自分が勝負するのではなく、子ども達の頑張る姿を見守ることしかできないから。
子育てどころか旦那さんの仕事ぶりを見てイライラしていた友達もいる。
「私が代わりに働いた方が絶対出世するのに」
と。家の中で家事をしている主婦は誰からも評価されることがない。だから代わりに子どもや夫の「勝負ごと」に一緒に乗りたくなる。
まさか夫の会社に乗り込んで働くわけにはいかないので、世のお母さんは子どもの勉強やスポーツの成績に夢中になる。
私もやっぱり気になった。そして子ども達と一緒に勉強した。一番はまったのは小学校高学年の算数と中1の文章題。数字が苦手な私には両方とても難しい。
でも『自由自在』で勉強すると、どうにか理解でき面白くなってくる。子ども達と文章題の問題を一緒に解いていると、昔、母が「植木算」の問題を教えてくれたことを思い出した。
母は「元祖教育ママ」で、算数が苦手な姉と私に忍耐強く教えてくれた。私たちよりも母が夢中だった。だから私の教育ママは母譲り。歴史のテスト前には模造紙に年表を書いて色塗りし壁に貼っていた。
子ども達がどうせ誰も見てくれないのは分かっていたが、どうしても何かしたくなる。それは学生気分を味わえて楽しい時間だったから。故事成語や百人一首。
ちょっと頑張って「元素記号」や「化学式」も覚えてみた。何度勉強しても「月の動き」は、分からないまま。今でも空を見上げて月を見るたびに挫折したことを思い出し、娘と一緒に笑ってしまう。
「もはやトラウマだね」
そうやって一緒に苦楽を共にし「山掛け」もしてあげて、いよいよテストの当日、帰りをそわそわ待ちわびる。やっと帰ってきた娘に
「おかえりなさい」
もそこそこに
「あの問題出た?」
「今回はよくできた?」
なんて矢継ぎ早に聞こうものなら
「まじウザいんだけど。自分が受けりゃいいじゃんテスト」
と睨まれて終わってしまう。毎回同じことの繰り返しなのに、また翌日も言ってしまう。
「あそこ出たでしょ?」
「今度はケアレスミスしなかった?」
返ってきた点数はあまり気にならなかった。見たくない点数は横目で見て忘れてしまうことにしていた。終わってしまったものを怒ったところで仕方ない。言ったところであとの祭りである。