叔父に対する一縷の望み
園原資料館の一件は、母方の叔父シブサワヒデフミにすべて打ち明けた。
さすがの叔父も「お前は議員を辞めるべきだ」とツネオに言っているが、叔父自身がいくつもの犯罪に深く関与しており、オカダ・ツネオ二人を追及することができなかった。
仮にも阿智村の村長と議員である。このお粗末な二人に園原の歴史が壊されそうになっている。このことを考えられる者が阿智村にはいないのか。
深夜2時、叔父の家を訪ねる。
「オカダ村長に注進してほしい。鏡や遺構が発見されたのに、それを壊してビジターセンターを建てるのになんの意味があるのか。まして官製談合などという恐ろしい犯罪を行った。章設計に設計をやらせないとするツネオレベルの話はどうでもいい」
叔父に頭を下げた。
「俺にはできない」
か細い声である。
叔父は知りすぎていたが、それでも動いてくれると信じていた。私の叔父である。社会に出ても甘えてきた。何かと相談し遠慮なく言ってきた。それは私の叔父であるからだ。
「村を守ってください」という言葉とともに、オカダカツミの犯罪を書き記した文書を直にオカダ本人に渡した翌日、叔父に電話を入れた。文書を渡したこと、そこに書いてある内容を伝え、「ツネオは議員を辞めるべきだ」と、叔父に迫ったのである。
翌日電話があった。
「章文は気違いだ!」
ツネオから、そう言い返されたという。
「俺は何もできなかったが、設計料は俺が出してやる」
「それは関係ない」
「いいんだ、月川旅館の金がある。東山道(熊谷智徳経営飲食店)に500万入れてあるし、ほかにも使っている。気にすることはない。いくらだ」
そう聞いたとき、やはりそうかと思った。叔父は横領している。同時にツネオらに分け前を渡していると気がついた。
「阿智村に請求したのは350万だけど」
その2時間後にまた電話があった。
「今、400万円を振り込んだ」
「400万?」
「いいんだ、気にするな」
月川旅館は、叔父と私、クマダツネオ、熊谷智徳の四人が出資した園原の里開発株式会社が運営している。
当時の社長は叔父だ。平成18年(2006)に税務調査に入られたが、何も話がなかった。そして知らぬ間に、園原の里開発株式会社が株式会社野熊の庄月川(しょうげっせん)に社名変更されていた。
なぜ社名変更したのか、なぜ減資したのかと疑問をもったが、まさか、オカダ村長と国庫補助金を騙しとる算段であったとは、思いもよらなかった。