正しいと思うこと
私がしていることは正しいのか、何か間違いがあるのではないか。私自身が追い詰められた。だが、阿智村の行政と議会がおかしいということだけは確信していた。これは社会の正しい姿ではない。彼らの世界に巻き込まれているだけだ。
オカダカツミに村を守れと告げたあと、自首し官製談合を告発した二課の刑事に、私は電話を入れていた。「手を引いてくれ」と。オカダの逮捕で終わるとは思えなかったのだ。
そして悩みに悩んだ末、「裁判にかける」と決心した。正しいことを為すという信念と、子供が見ているという気持ちが強かった。裁判など経験はない。社長も社員も、そして身内も反対した。
「裁判なんてすることじゃない、行政相手に勝てっこない」
「会社には不利益だ、世間は阿智村が正しいと言う」
「傷つくのは自分だけだ」
社長も社員も、そして身内も、私を心配するゆえの反対だ。あらためて自分に問うた。このやり方は正しいのか。贈収賄は誰の目にもわかる。風評として飛び回るだろう。刑事の言葉が浮かんだ。
「熊谷さん。あなたが自首すれば、家族はその風評被害で苦しみますよ」
息子は自首した私を理解した。自首は問題ではない。オカダカツミが贈収賄で逮捕されれば、その密告は私だとされるだろう。だとすれば、その風評被害こそが家族を巻き込むことになる。
だから、誰も捕まらない、捕まえさせないにはどうしたらよいかを考えた。官製談合の恐ろしさを認識させる。そのうえで告発もあるとせねばならない。そのように彼らにわからせれば、今後不正は行わなくなるだろう。そう思った。