第4節 この町のために、今自分ができることを模索した末に

開業から10年が経過した頃、青年会議所(JC)から入会の勧誘があり、40歳がJCの定年だったため、入会することに決めた。

従前より勧誘はあったものの、ある顧問先の社長から「JCに入会するのであれば3年が限度でそれ以上は続けない方がいい」と聞かされていたため、入会は断っていた。

しかし、実際に入会してみると会員の人は非常に親切で厚遇してもらった。様々な経験をさせてもらい、今でも感謝している。

40歳を目前に、少し地域社会に対する要求や政治の姿勢に興味を持つようになり始め、住んでいる町のまちづくりを町民主体で行おうとする取り組みから、NPO法人を立ち上げ、その代表に就任した。

社労士は、法律や規則に基づいてその業務を遂行する。その法律は、国会で決められ、政省令は各省庁で決められている。

そして、国会を運営しているのは議員であり、執行しているのが行政及び地方自治体である。

決められたルールに従って、私たちは暮らしているため、その執行者である自治体市町村の運営が脆弱であるとそこで生活している人は大きな影響を受け、不幸ではないだろうかと少しずつ考えるようになった。

その後、地方分権推進法が成立し、偶然にも私の住む町も合併の話が持ち上がった。これが世にいう「平成の大合併」である。

平成14年12月に1市4町合併協議会という法定協議会が設置された。


協議会は第1号員(各市町首長)、第2号委員(各市町議員)、第3号委員(民間委員)で構成され、各委員は本会議及び小委員会に配属されて、新市の事項に関し協議することになった。

私は新市まちづくり策定小委員会に配属委託を受けた。

平成15年から2年間、毎月長時間の協議の末、当該協議会は整わず合併は破談となった。各々の市・町が既得権益とエゴによって歩み寄ろうとしなかった結果だったのであろう。

合併構成を再編し、新たな合併協議会が立ち上がった。

それは、1市1町を除く3町の合併であった。平成17年から協議は激しさを増し、月2回以上のペースで本会議と小委員会が開催された。

そこでも私は新町まちづくり策定小委員会に委託を受け、協議を行った。この3年にも及ぶ会議の中で、行政運営の数字上の中身を知ることになった。新しい町の合併協定書にサインをし、行政改革委員会委員などを2年間務めた。

社労士は、労働法を中心とした業務であり、労働基準法・労働衛生法・健康保険法・厚生年金法・雇用保険法・労災保険法・職業安定法などを扱う。

しかし、一度労働紛争が発生すると、民法・刑法・民事訴訟法・税法などが必要となってくる。社労士資格で勉強した法律以外にもある程度の法律知識を持っていなければ対応に失敗することがある。

同様に、合併協議を進めるにあたっても、地方自治法や財政法・地方公務員法等を勉強しておかなければ、専門家である自治体職員と協議することができなかった。

自治体職員が主張していることが真実なのか虚偽なのか見分けることができなければ、自分の意見を持つことはできない。

相手がそのプロフェッショナルであれば、それに対抗し得る知識を所持する必要があるのは、当然のことである。

社労士が経営者から相談を受けたとき、どれだけの引き出し(知識と経験)を持ち、総合的に判断した上で、一番適した解決策が見出せるかどうかがプロフェッショナルたる「社労士の肝」なのだと考える。

そのためには、どれだけ具体的な案件に携わり、苦悩の上解決できたのか・できなかったのかといった経験が、何よりも成長を促すだろう。そして、毎日スキルを磨くことが必要であると考える。

学ぶことは多いが、学びを止めて得られるものは何も無いのである。