お金との出合い
昭和38年3月、私はこの世に生を受けた。山村の農家で少しの田んぼと山があり、家の前には車1台通ることができるかどうかの幅しかない道路がある小さな田舎町で育った。湿度が高く、冬は厳冬であり、豪雪地帯であった。
当時、この町はちりめんの生産地として栄えていた。人には厳しい気候であったが、ちりめんの生産地としては適していたのだろう。時代の流れとともに現在は衰退してしまったが、ちりめん街道という栄えた名残が残っている。
当時は旦那と呼ばれる気位の高い、所謂「富裕層」が各地域で見られた。絹から製造される反物は煌びやかであり、その価値は高く、収益源の最たる高付加価値の代物であった。生産された反物は染められ、全国各地に販売された。
小学3年生頃のことである。祭の露店を見に出かけた。そこに飾られた品々はどれも輝いて見えた。それらは、とても興味深く、欲しいという気持ちでいっぱいになった。
しかし、親にねだって買ってもらうには気が引けてしまい、唇をかみしめ我慢した。買うにはお金が必要だ。どうすればお金を手に入れることができるのか、このことをきっかけに、考えるようになった。
小学4年生になった頃、友人が新聞配達をして小遣いを稼いでいると耳にした。新聞配達であれば、早朝に配り、その後に登校すればよい。私は、そんな方法があるのかと驚愕すると同時にものすごく興味を惹かれた。私は、さっそく親に相談することなく、新聞配達のアルバイトを始めた。
小学校まで徒歩で毎日片道2.6キロメートルあり、朝7時15分には通学しなくてはならなかったため、毎朝6時から7時までの1時間で新聞を配達し終えなければならなかった。配達は20件ほどであったが、小さな田舎町であったため、5キロメートル前後の距離があり、自転車を漕いで配達した。
1か月のアルバイト料は1500円程度であっただろうか。それでも、初めて自分で稼いだお金というものに強く感動した。この仕事は天気の良い日ばかりであればよいが、そうはいかず、雨の日も雪の日も風の強い日も毎日続き、休むことは許されない。当たり前だが、新聞を待っている人がおり、その人はお金を支払って購入している。その人たちにとって、働く側の事情は関係無い。