お金との出合い

中学校に進学後、新聞配達のアルバイトは辞めた。

そして、バレーボール部に入部し、ひたむきに部活動に励んだ。

その生活の中で先生や先輩に対する礼儀を徹底的に教示いただいた。高校に進学後、中学時代の先輩から高校でもバレーボールをやらないかと入部の勧誘を1年以上にわたって受けた。

しかし、長期休暇をアルバイトに費やしたかったため、帰宅部のグループに所属し、文化系の化学部と放送部に入部した。

高校では春季休暇・夏季休暇・冬季休暇と3年間に9回の長期休暇があり、春季休暇には紋工屋で紋紙の下準備の色付け作業と魚屋を掛け持って働いた。

紋工屋では、じっと座ってする作業と1ミリ角マスに色を付ける細かい作業だったため、ここでは集中力と根気強さを学ぶことができた。

魚屋では、加工したものを紙で包み、購入者に手渡すという至って単純な作業しかさせてもらえなかった。魚を捌くには熟練の高等技術を要し、形・格好の違う色々な魚を扱っていたため、任せてもらえないのは当然であった。

しかし、私は負けず嫌いの性格のため、そのことはとても歯痒く、調理方法や素早く3枚におろし、刺身に仕上げる方法など、その手際の良さを間近で見て覚えた。

結局、そこでは単純作業しかやらせてもらうことはできなかったが、今でも魚料理ができるのはここでの経験が生きている証であろう。

夏季休暇は休暇の中でも一番休暇期間が長かったため、給与のいい鋳物屋で働いた。

夏という季節柄、暑いのは当然のことだが、溶鉱炉から出てくる真っ赤に溶けた鉄は顔や体に灼熱の熱波を浴びせるため、途轍もなく暑かった。

砂で固めた型に次々と注ぎ込まれる真っ赤な液体は1日を過ぎるとカチカチの鉄の塊となり、型枠から外された。何に使うのか分からない形状の塊のバリを外し、そのバリと周辺をきれいにグラインダー掛けした。

安全靴に皮手袋、防塵マスクを身に着け、大きいものもあれば小さいものもあるグラインダー掛けは肉体的にとてもきつかった。この鋳物屋での仕事は友人と2人でアルバイトに行った。