豊中へ
東京の一学年七クラスの下町の学校から、文教地区と言われる大阪豊中市の一学年十五クラスのマンモス校、豊中三中への転校だった。
教育に無頓着な親の多かった東京の学校では、いい成績でいられたが、豊中の中学校では、周囲に塾もない時代に、家庭教師をつけている生徒もいるくらい教育熱心で、自分の成績ががたんと落ちて、すっかり自信を無くした。
豊中の中学校で初めてもらった通知表に先生の温情で、『実力は評価以上のものがある』と手書きのコメントが添えられていたが、納得できなかった。
三年になった時、クラスに転校生が入ってきた。
父親が船会社に勤めている人で、転勤でアメリカから日本に戻ってきたばかりだった。たまたま席が隣同士になり、知り合ったのだが、この友人とは未だに付き合いがある。当時は、帰国子女はそう多くはなく、彼女の話は非常に興味深かった。
『アメリカのコネチカット州に住んでいた』
『帰りにハワイのホノルルに立ち寄り、ワイキキビーチからダイヤモンドヘッドが見えた』
『テレビ映画のローハイドやララミー牧場をよく観た。ロバート・フラーが大好き』
彼女の話す耳新しいカタカナの地名や話題に聞き入っていた。
アメリカ文化が、友人を通して自分の耳に流れ込んできた。英語に強く関心を持ち始めたのはこの頃である。
受験期になって、少しは努力したのか、近くの進学校である豊中高校を彼女と一緒に受験し、何とか、すれすれ合格した。
高校では人並みに初恋も経験した。
受験を終えて高校に通い始めた頃、加入したばかりのクラブで一学年上の男子学生に出会った。知性的で端正な顔立ちの先輩で、初対面の日から気になる存在となったが、他の女子学生たちがうわさをするような人だったので、自分は無関心を装って毎日を過ごしていた。
高校では二学期の九月三十日に文化祭が予定され、入部していたESSは英語劇をすることになった。個人的には演劇などには全く興味がなく、気恥ずかしくて嫌だったから、何とか避けたいと思っていた。
ところが配役を決める段になって思いもかけず自分に役がふりあてられてしまった。断りたかったのだが、気になる先輩も出演することがわかり、毎日一緒に活動できると思って、断ることができなかった。
準備は一学期から始まったが、夏休みも台詞合わせや大道具づくりのために、毎日学校に通うことになった。
夏休みのある日、近くで作業をしていた例の先輩が、誤って大量の絵の具をこぼし、シャツを汚してしまった。すぐ洗えばとれるのに、本人は手が離せない状態だったので、自分が洗ってくると申し出た。脱いだばかりのシャツを受け取り、急いで手洗い場に向かった。
その時シャツに残されたぬくもりと、かすかな体臭を感じて、ひどくうろたえたことを、なぜか今でも覚えている。異性を意識したはじめての体験だった。