神戸

私は、子供の頃から、犬、猫、鳥などの小動物が好きで、いつも身の回りには、カエルやカメまで含めて、生き物が、何かいる生活を送ってきた。

猫は結婚して家を出るまで、ずっと実家にいて、同じ布団で寝起きを共にしていたし、犬も色々な犬種を飼った経験がある。

そんな私が唯一苦手な小動物はハムスター、リスなどネズミ類だ。

それには神戸での幼児期の経験が深く関わっていると思う。

今はゴミの集積所で時折見かけることがあるくらいになったネズミだが、私の子供の頃はかなり身近に横行し、食べ物や置物などが、かじられることが間々あった。

家と家との間の路地はネズミの通路だったし、家の周囲にあったドブも、ドブ板の下はネズミの、隠れた通り道だった。住人たちは、ネズミの対策として、どの家でも猫を飼っていたが、それだけでは事足りず、ネズミの捕獲に乗り出した。

針金を組んだティッシュボックスくらいの箱型のネズミ獲りを買ってきて、おとりのえさを取り付け、各家庭で、何か所かに仕掛けた。

ネズミは警戒していて、なかなか掛からなかったが、

「ネズミが掛かったぞ」

という大きな声が、時々路地のどこからか、上がった。

声を聞きつけて、子供たちがあちこちの家から集まってきた。

ネズミが捕まると、住人は罠にかかったネズミを、ケースに入れたまま、足早にドブか、たっぷり水の入った大きなバケツにまで持って行った。そして情け容赦なく、そのままドボンと水に浸けたのだ。ケースの上面が浸かるまで十分深く、水に浸した。

子供たちは、水没させられたネズミがもがき苦しむ姿を、残酷にも、じっと取り囲んで座って見ていたものだ。当時の大人には子供達に対する情緒教育的な見地などなかったのか、そんなゆとりがなかったのか、酷い光景が見過ごされていたようだ。

ネズミのひきつった目は赤く、口は苦しげに歯をむいていた。

その尖ったネズミの牙はそんな仕打ちをする自分たちを恨んで向かってくるかのようで、ネズミは怖いと感じるようになった。子供心に人間がネズミを痛めつけたという自責の念みたいなものもあったのかも知れない。

死んだことが確認されて、水から引き揚げられたネズミは、ずぶぬれで、毛はぴったり体にへばりつき、赤い小さな骨ばった指は丸まり、ミミズのような毛のない赤いしっぽはダランとしていて、身震いするほどおぞましかった。その姿は、ネズミに対する恐怖心とともに、未だに脳裏に焼き付いて離れない。

そのネズミ退治の対策となるからなのだろうか、近所に猫の子供が生まれた時、猫の子を貰って飼ってほしいと、親にせがむと、案外簡単に了解してくれた。そして、可愛い雌の三毛猫が我が家にやってきた。私のペットとの付き合いの始まりだった。

毎日猫と遊んでいた。

大人になった雌の猫は、戸や窓が開いていても、家の外には出て行かず、近所に迷惑をかけることもなかったが、発情期だけは、雄が誘いに来て、その声に呼応して鳴いていた。そして雄に連れられてどこかへ出て行って、二、三日は帰って来なかった。

何日かすると、泥だらけの体で、体中異臭を帯びて帰ってきた。それからは何事もなかったように元の生活に戻り、決して外には行かなかった。私はそういう動物の生活サイクルを知らない子供だったので、飼い始めた頃は、猫がいなくなったと大騒ぎをしたこともある。

数週間が経った頃の夜、いつものように布団を敷いて、寝ようとしていたら、当然の顔をして、猫が布団に入ってきた。そしていつものように、深く潜って私の足元で丸くなって寝た。

朝方、私ははっとして目が覚めた。布団の裾の方に何か濡れたものがあることに気が付いたのだ。自分の爪先に、濡れた何かが当たる。

『何? これ』

足先を動かすのを止めて、ちょっと考えた。