出会い─パリの片隅で
そのとき通りにはほかに人影もなく、カミーユは一人マロニエを見上げた。
目的地はすぐそこだ。やるべきこともわかっている。
それなのにカミーユは、しばらくその淋しく葉を落とした樹々に目を遣ったまま動かなかった。素敵な場所だと思った。こっそり独り占めしていると、ちょっぴり幸せな気分。きっと私の大好きな新緑のころは気持ちがいいだろう─ 。
カミーユはつまり、目前に突き付けられた仕事に、なかなか取り掛かれずにいた。
そのとき、通りの反対側の入り口から、野菜売りの女が大きな荷車を押して入ってきた。
歩きながら「玉ねぎにカボチャ、ジャガイモ」と大声で繰り返している。周囲のアパルトマンから唐突に女たちが現れ、野菜売りの商品を吟味し始めた。カミーユは我に返り、野菜売りの声に背中を押されるように店主のメモを確認した。
そのアパルトマンは、カミーユの気に入った緑地に面して建っていた。
敷地に入り、部屋のドアの前に立つと、「フレデリック・バジール」という表札が掛かっているのだが、その下に「オスカル=クロード・モネ」と書かれたいかにも間に合わせの紙切れが貼り付けてあった。
ムッシュー・モネは間借り人なのかしら。
店に現れたときの立派な身なりと金に糸目をつけない注文の仕方を思い出し、首を傾げた。
とにかく、今日支払ってもらえないまでも、支払いを促すところまでは私の役目だ。極寒の最中というのにうっすら汗ばんだ両手で一度ぎゅっとスカートを握ると、ドアをノックした。
「ウィ」
すぐに返事があって、しばらくするとドアが開いた。すらりと長身の、紳士然とした青年が顔を出した。ムッシュー・モネではない。
「テーラー・カルヴァンから参りました。ムッシュー・オスカル=クロード・モネはいらっしゃいますか?」
気のせいか、テーラーと聞いて青年は少し眉を顰(ひそ)めたようだった。彼が奥に下がるとすぐ、ムッシュー・モネは現れた。
「やぁ」
カミーユはその顔を、自分でも驚くほどよく覚えていた。引き締まった口元、深く強いまなざし。みるみる顔が上気していくのがわかった。それを気取られたくなくて、俯(うつむ)きがちに一気にしゃべる。
「先日、ご注文いただいた商品をお届けに参りました。商品をご確認いただきたいのですが」
ムッシュー・モネは、それはうれしそうな顔をした。カミーユは、できることなら今日、商品を渡してあげたいと思った。
「散らかってますけど、どうぞ中へ」