穂波は、やっとのことでそれだけ言った。
「机? 机がどうしたっていうの?」
軽く首をかしげ、紗菜絵が穂波の机を見る。そのとたん、紗菜絵の動きがとまった。
「なにこれ……どういうこと……」
「―武藤さん……?」
石になったようにかたまってしまった紗菜絵の脇から、千紘が、恐るおそる机をのぞきこむ。
「え……」
千紘の動きもまた、その瞬間に凍りついた。ただならぬ様子に、遠巻きにしていた男子生徒も近づいてくる。
「おいおい、どうしたんだよ」
男子の中ではリーダー格の古谷将道(ふるやまさみち)が、机を取りかこむ女子にたずねた。
穂波が、小刻みに震える指で机をさす。
「血……」
なに言ってんだ、という顔で、机の中をのぞいた将道が、「うわ!」と声をあげた。
穂波の机の中は、凝固しかけた液体状のもので赤黒くいろどられていた。よく見ると、その液体が机の端から滴って床に落ち、小さな血だまりのようなものをつくっている。
「おいおい、マジかよ……」
「たち、悪すぎだろ」
男子が、代わるがわるつぶやいた。だが、それ以上はだれも近づこうとしない。
いつの間にか、穂波の机を取りまく生徒は、男女あわせて十人ほどになっていた。
その一団から、意を決したようにメガネの女子生徒が歩み出た。髪をアップにして水色のバンスクリップで無造作に留めた女子が、その背中に「おケイ……」と声をかける。
声をかけたのは、高山葉月(たかやまはづき)。「おケイ」と呼ばれたのは、クラス委員の桜井桂衣子(さくらいけいこ)だ。
机の前に立った桂衣子は、自分自身を励ますかのように、すっと背筋を伸ばした。
「桜井さん……」
穂波が、震える声をかける。
桂衣子は、「うん」と小さくうなずき、机に向かってゆっくりと身をかがめていく。
「朝からものものしいわね。どうしたっていうのよ」
背後から鋭い声が響き、その場の全員が振り向いた。
「なんだか、引き抜かれたマンドラゴラの断末魔みたいな声が聞こえたけど」
その少女は、なにかの冗談のようにそうつぶやいた。ただし、そこにいた生徒の中に、彼女の言葉の意味がわかった者はほとんどいなかった。