何だか、フーテンの寅さんを地でいくような人情話にすっかり感動、勘さんを大学病院の食堂に誘い、さらに話を聞いた。
「ところで、勘さん、二年もの間、出稼ぎに行っていたというけど、途中で帰ったことは本当になかったの? 勘違いしてない?」
「そりゃないです。刑務所にいましたから……」
それからしばらくして、勘さんが働いていた炭鉱町の病院へ応援診療に行く機会があった。しかし、そこで勘さんと会うことはなかった。
よその炭鉱へ転出したらしいのだ。当時、日本は高度経済成長下にあり、石炭産業から石油産業への急速なエネルギー転換策がはかられ、炭鉱の閉山が相次ぎ、人の移動も激しかった。
そういう危機的状況にはあるとはいえ、山間部の炭鉱町には一種独特の活気があった。長屋風の社宅が立ち並び、隣家のおかみさんどうしが楽しげに語らっていた。
危険でハードな仕事ゆえに坑夫の給料は高く、家賃、暖房料もタダだったせいか、街中にはパチンコ屋や飲み屋が点在し、映画館には高倉健主演の映画「網走番外地」の看板が掲げられていた。
炭鉱病院で当直当番の夜、夫婦げんかで夫から顔を殴られ、連れてこられた女性がいた。
病院事務長によると、坑夫は仕事でいったん地下に潜ると少なくとも八時間は戻ってこられないため、その空白の時間帯に「浮気した、しない」の夫婦げんかが起き、妻が病院に運び込まれるケースが少なくないのだという。
浮気に絡む夫婦げんかが原因で病院受診につながるケースが多い中、勘さんは義理と人情の寅さんモードでそれを切り抜けてみせた。
「勘さん、えらい!」
と改めて思った。正月興行で寅さん映画が上映されるたびに、あの気っ風のいい、勘さんのことが思い出された。
今となっては、遠い昭和の、懐かしい思い出の一コマである。